葦書房

葦の葉ブログ



2018/4/27
福田セクハラ騒動の教訓
久本福子

 
ブログの更新を週2回ぐらいに増やそうと、前回は早めの18日に更新したのですが、大問題になっている福田次官セクハラ問題を取り上げようとは思うものの、何が事実なのかという基本の基本が混沌としており、どこからアプローチすべきか視点が定まらないまま、もやもやしながら日を送っておりました。そこでまず、もやもやをそのまま出すことにいたしました。
 
1 Webにアップされた音声はつぎはぎされたものであることが指摘されており、これはほぼ事実のようですが、公開された音声は、「週刊新潮」に掲載されている発言そのままの音声ではないのはなぜなのか。このつぎはぎは、公開した新潮側でしたのか、それとも記者の側でしたものなのか。

2 「週刊新潮」の記事によると、二人は夜の9時頃に会食、飲食したことになっていますが、夜の9時頃に、事務次官ないしは官僚が、わざわざ電話して女性記者を飲み屋に誘う、呼び出すということは、ごく普通に行われていることなのか。もしこれが事実なら、その非常識さには驚愕せざるをえません。

 呼び出す方も大非常識ですが、応じた方も大非常識です。一般的な社会通念では、夜の9時、10時に電話して飲みに誘うというのは、相手が異性であろうが同性であろうが、はまた仕事上の付き合いであろうが個人的な付き合いであろうが、特に親密な関係にあるケース以外にはありえません。二人はそれほど親密な関係にあったということになりますが、どうなのか。

3 女性記者が提供した音源を基にしたセクハラ報道は、タイミングからすると、倒れそうでなかなか倒れない安倍政権を倒閣させる、最後の一押しになることを狙ったものであることは明白ですが、これほど露骨に手段を選ばずに、記者が倒閣のために動くことが社会正義だといえるのかどうか。「週刊新潮」は予告どおり、今週号では前週号の続報を掲載しているようですが、つぎはぎ音声だとの指摘に関する回答記事は皆無のようです。未だ広告しか見ていませんが。

 「週刊新潮」は女性記者共々、つぎはぎ音声疑惑に対して説明する責任があるはずです。つぎはぎ音声ではない、生の会話をそのまま録音した原音源が存在するはずですので、女性記者は原音源を公開すべきです。女性記者がもしも実況録音そのままのではなく、つぎはぎ音源を提供してセクハラ報道を煽ったのであれば、報道の自由とは全く無縁の犯罪行為を犯したことになります。

4 「週刊新潮」のセクハラ報道の後、テレビ朝日は19日の深夜0時に記者会見を開き、セクハラ被害を受けた女性は自社の記者であることを明らかにしましたが、なぜ深夜0時に記者会見を開いたのか。一刻も早く事実を明らかにしたいという報道機関としての良心の表れかとも取れなくもありませんが、実はさにあらず。全く真逆の、報道規制を意図したものであったことをうかがわせる事実が、同じ朝日系列の「AERA.dot」に掲載されていました。下の記事ですが、「週刊朝日」の記者上田耕司氏によって書かれたものです。Web限定の記事だという。
財務次官セクハラ被害の会見で雑誌記者を締め出したテレ朝の「#MeToo」度

 上記記事によると、この日の記者会見は、記者クラブ(財務省専属の記者クラブだという財研も含む)所属の報道機関には事前に通知されたものの、それ以外の雑誌記者などには連絡がなされなかっただけではなく、会見場に駆けつけた招待社以外の記者は全員、閉め出されたという。記事を一部抜粋します。


 本誌記者も駆けつけたが、テレ朝受付で「放送記者クラブと財研(財務省記者クラブ)の方だけをお招きしています。それ以外の方は入れません」と、取材を拒否された。


「女性の人権にかかわることなのにどうして」とくいさがる女性記者など複数のメディアが入場を拒否された。

 テレビ朝日広報部に質問状を送り、なぜ記者クラブ以外のメディアを阻害したのかを尋ねたところ、以下の回答だけがあった。

「記者会見には当社の方から、日頃から当社の定例会見にご出席いただいているラジオ・テレビ記者会と、財務省の記者クラブである財政研究会の所属社にご案内をさせていただいたものです」

 会見の参加者を「日頃から定例会見にご出席いただいている」記者に限定した理由は何か。雑誌やネットなどの記者に来てほしくない理由があったのか。


 
記者らしい記者の書いた記事ですが、Web限定とはいえ、同じ朝日系列で、テレ朝の報道規制の事実を、よくもここまで暴露してくれたと驚いています。昼間ないしはもっと早い時間にこの記者会見が開かれていたならば、テレ朝の報道規制の事実が一気に知れ渡り、福田次官批判以上にテレ朝批判が拡がっていた可能性もありえたとも思われますが、テレ朝の思惑通り、深夜0時という時間帯ゆえに、会見場に駆けつけた招待客以外の記者も少なかったようです。招待された記者たちは、招待主の意を汲んだほどほどの記事を書き、批判をもっぱら福田次官と財務省と安倍政権に向けることに注力しています。つぎはぎ音声疑惑に関する質問は皆無だったはず。テレ朝がもっとも恐れたのは、つぎはぎ音声という工作の事実がばれることだったのではないか。

5 以上のように、セクハラ報道そのものにも重大な疑惑はあるものの、福田次官本人にも騒動を惹起する欠陥や問題点が多々あったことも事実のようです。福田氏の全体から受ける印象としては、締まりがない、弛緩しているという言葉以外には何も出てきません。この締まりのなさは、肉体的なものではなく、精神的なものに由来するものだと思われます。一言でいえば、危機を危機と感じる感性の欠如といえそうです。

 財務省は、昨年から延々とつづく森友問題では矢面に立たざるをえない立場にある役所であり、自殺者まで出しています。しかもいつまで経っても収束する気配はなく、野党やマスコミの批判が今現在までも続いている中で、夜遅く、自分からわざわざ電話して女性記者を飲食に誘うなどとは、信じられないほどの軽薄さではありませんか。二人きりで飲食しながらしゃべっていると、ついマル秘情報も口にすることも十分に起こりうるシチュエーションです。女性記者から巧みに誘い出されたのであればともかく、自分からわざわざ夜遅くに、女性記者を誘い出すような人物が財務省のトップであることは、日本の安全保障上からも大問題です。まさに危機そのもの。こんな人物が、財務省のトップであったことには、国民の一人として恥ずかしい。

6 福田事件に関連して、NHKの記者でもあった池田信夫氏は、場外における官僚と記者の関係の背後には、記者クラブ制度があると指摘しています。テレ朝の女性記者がつくった財務省セクハラ報道(JBPress)から一部抜粋します。

 取材先によるハラスメントというのは日本以外ではありない。

 日本では取材先と記者クラブとの長期的関係があるので、ある種のハラスメントが起こりうるが、これを回避することは容易だ。本件でいうと、その女性記者は被害を報告していたので、上司が配属を変えればよかった。

 こういう問題をなくすには、番記者などという奇習をやめるべきだ。こういうハラスメントが起こるのは、取材先と記者の閉鎖的な関係を維持する記者クラブが原因だから、根本的な対策は記者クラブを廃止することしかない。


 しかし記者クラブを廃止するどころか、テレ朝は記者クラブ制度を最大限悪用して、報道規制をしたわけです。それに同調している他の既存メディアもこの制度の悪用をサポートしています。彼らの報道姿勢に公益性などあるのでしょうか。既存メディアの特権的な優位性がいかに危険であるかということと同時に、多様なメディアの必要性をあらためて痛感させられる事態です。

7 しかし問題は既存メディアだけではありません。「フォーNET」4月号に掲載されていた、元農水大臣の太田誠一氏の「政談談論」によれば、続出する問題の本質は、政府主導を強化しつづけた結果、官邸(総理大臣)が霞ヶ関の幹部の人事権を握るに至り、ありとあらゆる権力が官邸に集中するようになったことにあるという。内閣人事局を設置し、局長以上の人事権を内閣官房が持つことになったということですが、その結果、官僚は制度として官邸の意向を忖度せざるをえない状況に置かれているのだという。野党は文書がどうのこうのと枝葉末節な批判ばかり繰り返していると、太田氏は批判しています。

 太田氏の「政談」は福田セクハラ問題発生以前に書かれたもの(太田氏もセクハラ発言で辞任)で、モリカケ問題をめぐる動きを批判したものですが、どちらも同じ根(制度下)から生じたものだと思います。こういう制度下では、能力の優劣ではなく、内閣にとって使いやすい官僚が抜擢される結果になりやすいのではないかと思われます。福田次官というさほど優秀だとは思えない人物が財務省トップになったのも、この制度の産物だといえなくもない、ということです。

 官邸への権力の集中は、大臣を使って省益を死守せんとする各省庁の動きを阻止し、政策の実行力を高めるという効用がある一方、官僚を萎縮させるばかりか、官邸の独裁化をも招きかねません。安倍政権は史上まれに見る長期政権が続いていることもあり、独裁化の懸念もゼロではありません。

 いかに強力な政権といえども、官邸が万能な能力を持ちうるということは、独裁政権以外にはありえません。安倍政権は、日本国の恥になるような事態の続出を防ぐためにも、官邸に権力が集中しすぎるという、現行の制度を改める責務があるはずです。それこそが、一連の騒動に対する、安倍政権の責任の取り方ではないでしょうか。

 なお著述家の菅野完(スガノ タモツ)氏によれば、現在、官僚への取材はほとんど不可能なほど難しいという。しかし10年ほど前までは、各省庁への直接取材は自由になされていたそうです。(RKBラジオより)機密の流出は不可ですが、取材の閉鎖性を打破し、国民の知る権利を保証するためにも、政策実施の細部を検証するためにも、省庁や官僚への取材を白昼堂々とできるようにオープン化すべきではないかと思います。

 以上、このみっともない騒動からも多々教訓を得ることができました。
 **更新はやはり週一ぐらいがいいかなと思いますので、特別の場合を除いて、当分は週一で続けます。***

HOME