葦の葉ブログ



2018/4/9
文民統制の是非をめぐって
久本福子

 イラク日報が空自にもあったことが分かり、日報問題は拡大の一途を辿りそうな気配です。野党のみならず、石破茂氏も文民統制の崩壊だとして、安倍政権への批判を強めています。国会議員から日報の提出を求められたにもかかわらず、存在しないと回答していた日報が、実は陸自にも空自にも存在していたということは、確かに重大かつ深刻な問題だと思います。なぜ探索が不徹底であったのか、その原因は公明正大に明らかにされるべきだと思いますが、実は日報はあったとの一報に接し、わたしはむしろ防衛省、自衛隊に対して信頼感が増しました。イラク日報の内容が具体的にどのようなものであるのかは、今のところ未公表ゆえ不明ですが、事実上戦闘状態下にあった南スーダンでも日報が書かれていましたので、イラク日報でもおそらく同様の記載がなされているのではないかと推測されます。

 法治国家における真の文民統制は、戦場等での活動も含めて、あらゆる政策遂行に関する記録なしには実現しえないことを、改めて確認すべきだと思います。記録がなければ、文民による検証は全く不可能だからです。文民統制は、軍人による暴走、独裁を非軍人(
政治家)による統制によって阻止、防止する体制を指しますが、ここではもう少し意味を拡大して、国会による行政機関全般への監視を可能にする体制と解釈して、話を進めたいと思います。

 この文民統制は日本国憲法でも保障され、基本的には現に機能しているわけですが、軍事部門はもとより、非軍事部門においても、政策遂行に関する記録なしには、国会による検証は不可能です。つまり、まず記録を作成することそのものが、法治国家、文民統制、民主主義体制を維持する上では絶対不可欠だということです。逆にいえば、政策遂行に関わる記録を作成せずに、種々の政策が各省庁で実行されるという事態になれば、法治国家、文民統制、民主主義体制は成り立たちません。

 民主主義体制、文民統制を支えるこの絶対条件に照らしてみると、自衛隊の日報はもとより、財務省の森友問題においても、文書改ざんという重大事態は発生したものの、改ざん前、改ざん後のいずれの文書も残されており、国会での検証を可能にしていることは周知のとおりです。もしもこれらの文書を作成せずに、自衛隊の海外派遣活動や国有地売却などがなされていたとしたら、どうなるでしょうか。民主主義、文民統制を否定するこのような事態は、日本では想定としても成り立たないとも思われますが、あらためて問う3.11でも書きましたように、民主党の菅直人政権時、震災対策、福島原発事故対策では、菅直人総理個人の独断で政策が決定、遂行されており、決定、遂行に至る経緯を記した文書そのものが作成されていない可能性が非常に高い。

 その経緯らしきものは、政府事故調、国会事故調報告書から読み取ることはできますが、報告書から浮かび上がるのは、菅直人総理個人の異様な独断政治が行われていたという事実のみです。東電事故調報告書はもとより、政府・国会両事故調報告書だけでは、菅直人総理の独断政治に、菅直人政権が総体としてどう関わり、それらの政策(災害・事故対応策)に賛同したのかどうかさえ全く不明です。ましてや、関係省庁がどう動いたのか、その実態に至っては皆目不明です。唯一はっきりしているのは、緊急事態発生時には拠点となる、官邸地下にある危機管理センターは実際には使われなかった(菅直人総理はこの危機管理センターでは災害対応の指揮を執らなかった)ということと、菅直人総理が個人的に呼んだ人物が官邸に出向き、総理に聞かれたことに答えるという、どのような法律にもない対応を採ったということです。

 その流れの背景を作ったポイント部分を抜粋して紹介します。年月日は2011年3月11日です。

14時46分 地震発生。直後、経産省は震災災害対策本部を設置し、被災地の原発の状況等に関する情報収集を開始。
14時50分頃 伊藤哲朗内閣危機管理監が、地震対策官邸対策室を設置し、関係省庁の局長等からなる緊急参集チームを、危機管理センターに招集。
15時42分頃 福島第一原発で全電源喪失。東電よりその旨の通報(原災法10条通報)あり。これを受け、経産省は原子力警戒本部と現地対策本部(大熊町のオフサイトセンター内)を設置。
16時36分頃 伊藤危機管理監は原子力対策本部を設置し、震災対策と合わせて対応するにことにした。 
16時36分頃 福島第一原発1,2号機で給水機能喪失。東電よりその旨の通報(原災法15条通報)あり。
原災法には、15条通報を受けると内閣総理大臣はただちに原子力緊急事態宣言を発出するとの定めがありますが、菅直人総理は発出になかなか同意せず、引き延ばしを図る。)

18時30分頃 菅直人総理、原子力緊急事態宣言を発出を了承。
19時3分 政府は原子力緊急事態宣言を発出し、原災対策本部と現地対策本部を設置。
19時45分頃 枝野幸男官房長官は記者会見において、原子力緊急事態宣言の発出と原災対策本部と現地対策本部の設置を発表した。(被災地住民及び全国民はこの時初めて緊急事態を知らされた。)

 以上は初動時の対応ですが、分秒を争う原子力災害では、初動時の対応が全てを決するといっても過言ではありません。15時42分頃に東電から全電源喪失の報告があったにもかかわらず、菅官邸は全く何の対応もしていません。少なくともこの時点で菅総理が危機管理センターで、全省庁に向けて代替電源の手配も含めて、電源確保の手立てを緊急にとるよう指示していたならば、全省庁挙げて、電源確保のための様々な対策が迅速になされ、事故を防止できたであろうことは間違いありません。

 福島第一原発では、政府の支援もない中で、電源確保のための涙ぐましい努力がなされていました。敷地内にある車からバッテリーを取り出して使ったり、震災、津波被害で車が使えない中、社員が近隣の量販店にバッテリーを買いにいったりしています。信じられませんが事実です。通電しなければ給水ができないわけですから、予備の水が枯渇したら給水不能になるのは火を見るよりも明らかですが、何の対策も採らず放置しつづけたばかりか、震災・原災対策本部の最高責任者(本部長)として危機管理センターを動かすことすらしなかった菅総理は、そうした事態になることを待っていたとしか思えません。

 原災法では、電源喪失通報(10条通報)までは、総理大臣の了承なしに対策を進めることはできますが、給水機能喪失の通報(15条通報)という最高度の緊急事態への対応は、総理大臣の了承(原子力緊急事態宣言の発出)がなければ実施できない決まりになっていましたので、この宣言発出の遅れは、福島原発事故への対応の遅れになったことは言うまでもありません。被災自治体でも、東電からは15条通報はあったものの政府の緊急事態宣言がなかなか出されず、動くに動けない状況に焦りを覚え、政府の了承を待たずに住民避難を始めていた所もありました。その上、菅総理は、現地対策本部への権限の一部移譲も拒否しつづけました。

 緊急事態時での、文民トップの内閣総理大臣への権限の集中が、いかに危険であるかということを物語っています。石破氏は、緊急事態時の政府への権限集中を憲法に書き込むことを主張していますが、この前例をどう考えておられるのでしょうか。

 当時の菅総理の異様な法律無視の数々の行動は、書き出せばきりも果てもないほどですが、その異常度は初動時以降、さらに昂進しつづけます。今回はそのごく一部を紹介しましたが、初動対応の概略を見るだけでも、その異常さは十分すぎるほど伝わったかと思います。しかし当時の菅総理がなぜ法律の規定に沿った対応をしなかったのか、その理由については未だ明らかにはされていません。というよりも問題にすらなっていません。当時はマスコミ等でも、菅直人総理の異常な対応ぶりは報道されていましたが、どういう経緯を辿って、菅直人総理の対応が決定され、実行に移されたのかは国会では一度も検証されたことはありません。

 いかなる状況下であれ、政府や行政機関が政策決定、実行するに際しては、その経緯を記録した文書が存在するはずです。3.11の大震災、原発連続爆発事故への対応に関しても、当然のことながらその経緯を記録した文書が残されているはずです。目下、南海トラフ地震を想定した対策が進められていますが、3.11時の政府の対応を検証せずには、有効な対策の策定はできないはずです。そして何よりも、当時の菅直人総理の災害対応について、具体的な資料(記録文書)を基にその是非、責任を問うことは、国会に課せられた任務ではありませんか。文書が作成されていない可能性もありますが、文書の存否も含めて、政府・国会事故調ではできなかった検証を、国会でこそなすべきではありませんか。

 自衛隊の日報問題をめぐっては、文民統制の危機が叫ばれていますが、まずはその文民の質、文民統制の実態をこそ問うべきだと思います。緊急事態下では、平時よりも問題の有りようがより鮮明に浮上いたします。3.11での政府の対応は、平時ではおそらく見えなかったであろう、文民統制の実態を浮上せしめたものだと思います。目下、文民統制こそが絶対善、絶対的正義だとの風潮が強まりつつありますが、果たしてそうなのかどうか。仮に緊急事態下であれ、文民(政府)への権限の絶対的集中は、ほんとうに我々の安全を保証するものなのかどうか、3.11での政府の対応をめぐる検証を通して、我々は冷静に考えるべきではないかと思います。今こそまさにその時ではないかと思います。
 



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