葦の葉ブログ |
2018/5/18
モリカケ関所
久本福子
この関門を越えなければ一歩も前に進めないような状況がつづいていますので、いささかうんざりしながらも、前回( 国会のなすべき事)に続き、今回も加計学園問題を取り上げることにします。加計学園に対して、50数年ぶりに獣医学部の新設が認められるに至ったのは、安倍総理と加計理事長とが親友であったという個人的な関係も大いに影響したであろうことは誰も否定はできと思います。しかし安倍総理大臣が誕生するはるか前から、今治市と加計学園とは、獣医学部新設に向けた活動を始めています。学部新設の申請も15回も繰り返し、政官各所に働きかけを続けてきたという歴史を考えるならば、計画によほどの欠陥がないかぎり認可するというのは、人情からしても当然ではないでしょうか。
京都産業大も有力な候補だったとそうですが、獣医学部新設など不可能だと思われていた国家戦略特区誕生のはるか昔から、却下されても却下されても諦めずに、15回も獣医学部新設にチャレンジしてきた今治市と加計学園を差し置いて、新規参入者である京産大を認可することの方が社会正義だとみなしうる根拠はいったいどこにあるのでしょうか。しかも海に囲まれて本土から隔離されている四国には獣医学部が皆無であり、四国4県の知事も連名で愛媛県今治市での獣医学部新設を要望している状況下で、なお今治での加計学園獣医学部開設に反対し続けることに、いったいいかなる社会正義があるというのでしょうか。
安倍総理も直接的な介入はなかったにせよ、加計学園の獣医学部新設をひそかに願っていたはずですし、安倍総理のその思いは、首相秘書官をはじめ周囲の人々にも伝わっていたであろうことは否定することは難しい。安倍総理も、加計理事長との個人的な関係も間接的には影響したかもしれないと答弁すべきでしたね。両氏の親密な関係は関係者の間では周知の事実だったわけですから、次々と「発見」される文書を見るまでもなく、その影響を全否定するのは物理的に不可能です。にもかかわらず全否定した安倍総理は、紛糾のタネを自ら作ったようなものです。
加計学園問題は、獣医師会の利益代弁者と、その岩盤を突き破ろうとする勢力との闘いだったわけですが、どちらが日本社会にとってプラスなのか、とくと考えるべきだろうと思います。50数年も新規参入者を認めず排除しつづけたという事例は、いかなる業界、分野においても獣医師会以外には例はないはずです。これほどの強固な規制は、日本や西洋の中世のギルドでもありえなかったのではないか。安倍政権は、その異常なまでの岩盤規制にやっと風穴を開けたわけですから、その点は評価してもいいのではないか。
加計学園と森友学園、安倍総理をめぐる最大のスキャンダルはいずれも学校法人開設に絡んでいます。しかも安倍総理には一銭の賄賂も渡っていませんし、選挙にからむ利益提供(票や運動員などの提供、協力等)なども皆無です。つまり学園開設者側からは、安倍総理に対しては利益提供は一切ありませんでした。森友学園には、昭恵夫人が100万円も寄付すらしています。数ある利権絡みの政治スキャンダルの中では、異例中の異例です。おそらく日本国内ではもとより、海外でも他に例はないはずです。この問題の分かりにくさは、ここにこそあるとみるべきでしょう。つまり安倍総理は個人的な利権を得るために、間接的にせよ、学校法人開設に絡む結果になったのではないということです。
おそらく安倍総理には、日本の教育の現状に対する強い危機感があったのではないかと思われます。文科省の検定教科書ですら、自虐史観がベースになっています。かなり前からは、中高の一部では韓国への修学旅行が実施されていますが、この旅行中、生徒たちは、全く史実に反した日本軍による韓国人に対する虐殺場面を捏造した展示物も見学させられています。子供たちに高い旅費を払わせてわざわざ韓国にまで出かけ、韓国政府による反日捏造歴史で日本の子供たちを洗脳する教育をやっても、学校現場に対しては、管轄する教育委員会はもとより、文科省も批判、指導もせずに容認、放置してきました。しかし教育委員会や文科省のこの無責任な放置は、政治からの教育の独立を保証する姿勢の表れだとして、むしろ評価されるのが日本の教育を取り巻く現状です。
これでは100年待っても、日本に誇りをもち、日本を愛する心を育てる教育は実現しません。安倍総理もおそらくこうした現状を認識し、何とか変革したいと考えていたはずです。しかし既存の制度や学校現場のあり方を変えるのはほとんど不可能に近い。とするならば、もっとも確実な変革方法は、学校教育の現状を憂い、変革したいという思いをもつ教育者を一人でも増やしたい。可能ならば、そういう志をもつ学校を丸ごと増やしたいという思いを、安倍総理が抱くに至ったことは十分にありうることだと思われます。その思いが今回の2学園問題の背後にあると考えると、今回の騒動の不可解さも氷解します。つまり今回の学園騒動は、現在の教育の現状を改革すべきか否かという根本的な問いに立って考えるべきではないかということです。
数ヶ月前、確かHuffPostだったと思いますが、経産省からアメリカの大学に研究員だったか、留学生だったかで派遣されているお役人がその肩書きで、大阪市長を激しく非難する長文を発表していました。大阪市が、新しく当選したサンフランシスコ市長が公約に基づき、慰安婦像を建てたことに抗議して友好都市の関係を解消したことに対する批判文でした。その批判文の趣旨は、慰安婦に対するアメリカや世界の認識は、韓国や中国の主張に基づいた内容であり、日本人がその世界常識を批判するのは非常識であり、的外れも甚だしいというものでした。
韓国や中国の主張が世界標準になったのは、日本の外務省や歴代政権の事なかれ主義と無能によるものですが、経産省の官僚までもがその世界標準を喧伝していることには驚愕しました。彼は税金を使ってアメリカの大学で研究しているわけです。個人的には思想信条の自由は認められているとはいうものの、公の場で堂々と、事実に反して日本の国益を損なう言動をすることが許されていいのかとの怒りを覚えました。公費でアメリカの大学に派遣されているぐらいですから、おそらく彼は狭い意味では非常に優秀なのだろうと思いますが、外務省や文科省のみならず、経産省までもが中韓の世界標準を全く無抵抗に受け入れていることを意味します。
そもそも教科書すら自虐史観に基づいているわけですから、こういうお役人が増えることはある意味当然ですが、このような事態を黙認していいのか。今回の学園騒動は、ここにまで達する問いを孕んでいます。安倍政権の政策にも問題は多々ありますが、国の存立に関わる根本においては、安倍総理の姿勢はそう大きくは間違っていないと思います。先日開かれた安倍総理と李首相との日中首脳会談では、友好促進のためのいくつもの協定が結ばれましたが、会談後は、北海道などの地方視察をされた李首相に安倍総理は同行したという。加計報道の陰に隠れて目立ちませんが、読売新聞に掲載された程水準駐日大使の寄稿文(訂正)には、安倍総理が地方視察にまで同行したことが書かれていました。民主党政権下では、日中関係が破壊されたまま何の手立てもなされぬまま放置されてきましたが、昨今の世界情勢の変化も後押しをしたとはいえ、安倍総理の日中修復に向けた努力も少なからず貢献したはずです。