葦書房

2018/3/19

3月11日、東日本大震災から丸7年が過ぎました。7年が過ぎ、8年目を迎えた今も、被災した人々をめぐるニュースは涙なしには聞くことも、読むこともできない話がほとんどでした。悲しみに沈んでばかりいたのでは、被災地の再建も、被災した方々の生活の再建も前に進みませんが、被災者を襲った巨大な喪失の回復は、そう簡単ではないとの思いを新たにいたしました。

その一方でわたしは、福島原発事故を誘発したとされる東日本大震災が、本当に天然自然のものなのかという根本的な疑念は、今なお払拭できていないとの思いも強く持っています。本号では、これらの疑念の解明に迫りつつ、眼前で展開している国会の異常事態にも踏み込んでみたいと思います。
両者がどう繋がってくるのか。書き終わるまでは、わたし自身にも確たる姿は未だ見えませんが、おそらく繋がってくるだろうとの予感は抱いております。













葦の葉ブログ  




2018/3/19
あらためて問う3.11

久本福子

 東日本大震災に関して、新たに公の場で明らかになった事件としては、「トモダチ作戦」に従事した米兵のうち、空母ドナルドレーガンに乗艦していた米兵の多数が、深刻な被曝に遭ったという驚愕すべき事実があります。深刻な被曝症状に苦しめられている米兵が、その損害賠償を求めて東電を集団提訴したというニュースによって初めて、この驚愕的事実が明らかになりました。提訴が始まったのは2012年に入ってからですが、年を追うごとに訴訟参加者は増え、当初は150人余りだったのが400人にまで増加、被曝によると見られる米兵の死者も9人にも達しているという。米兵被曝については、日本のマスコミも提訴当時は報道していましたが、その後はほとんど報道していません。

 しかも小泉元総理が、被爆米兵救援のために、日本政府のみならず、米国政府関係者にまで働きかけたものの、いずれの支援、賛同も得られず、それではと、日本の経済界に働きかけたという元総理による異例の救援活動すら、一部を除き、日本のマスコミではほとんど報道されていません。TVでは報道されていたようですが、わたしが購読していた新聞やNHKラジオでは、目につく形での報道は全くありませんでした。
涙を浮かべ「米兵たちに突き動かされた…」 小泉純一郎独占インタビュー(前編)2017.03.08

 小泉元総理のこの救援活動は、経団連の協力も得られなかったものの、半年余りという短期のうちに、民間からの寄付が2億5000万円も集まったとのこと。小泉元総理は、これを被爆米兵救援基金として全額米国の支援団体に送金したという。米軍からも米政府からも救済策がとられず、事実上見棄てられたような被爆米兵の方々にとっては、小泉元総理のこの救援基金は、いくばくかの救いになるかとは思われます。しかし小泉元総理の涙を流しながらの救援活動は、この問題の本質から人々の目をそらす結果にしかなりません。
 
 小泉元総理のまずなすべきことは、なぜ空母ドナルドレーガンの米兵だけが被曝したのか、この点を明らかにすることだったのではないか。16日深夜に、空母ドナルドレーガンが被曝した高濃度の放射線が、福島原発から放出されたものであれならば、発生源である福一でも被爆者が出たはずですが、そうした事実は皆無。それどころか、15日の早朝6時頃に4号機が爆発して以降は、爆発も発生しておらず、高濃度の放射線が放出される状況にはありませんでした。ドナルドレーガンの被曝は、福一から出た放射線ではないことは明白すぎる事実です。では何に起因する放射線だったのか。この大疑問については、日本政府が責任をもって明らかにすべきだったはずですが、民主党政権も現在の安倍政権も完全に放置したままです。原子力規制委員会も、この放射線の発生原因を調査する責務があるはずですが、関心すら示していません。

 しかしこの裁判が提起した最大の問題は、「トモダチ作戦」に参加した米軍2万4000人のうち、なぜ三陸沖を航行していた空母ドナルドレーガンだけが、高濃度の放射線に被曝したのかということです。被爆時のドナルドレーガンの状況については、WEB上には様々な情報があふれていますが、まずは細部について正確に確認する必要があります。以下、簡単に整理します。

1. ドナルドレーガンは、東日本大震災発生から2日後の3月13日、韓国との合同軍事演習に向かっている太平洋上で、大震災のニュースをCNNテレビで知り、急遽、被災地救援に向かうことを決定し、13日中に仙台沖に到着。(産経ニュース「
独断専行で始まった「トモダチ作戦」 被曝した米空母、身をていしての救援」)

2. ドナルドレーガンが被爆したのは、「3月16日午後11時45分、福島第一原発から東方沖230キロの海域(注・福島沖ではなく宮城県寄りの三陸沖)を航行中に放射線プルームに包まれた」「17日午前5時7分に放射線プルームから抜け出すまでの5時間余り強い放射線にさらされた。」(「ドナルドレーガン航海日誌」:世界の真実を求めて「東日本で水爆が使われた証拠」http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-2562.html)
 このブログ(筆者は匿名)は消されかけていましたので、アドレスも書いておきます。わたしはこの匿名筆者自身も消されたのではないかと思っていましたが、最近、新たに記事が書かれています。ただし、現在も同じ筆者が書いているのかどうかは不明。

 上記2点はまず事実だろうと思いますが、その上でなお様々な疑問がわき出てきます。その疑問を列記しながら、事の真相に迫りたいと思います。

 まず素朴な疑問として、なぜ空母ドナルドレーガンは、震災勃発直後の3月11日にすぐさま被災地救援に向かわなかったのか。しかも12日には福島原発事故まで発生しています。人類史上初といっても過言ではない、超巨大地震に襲われた上に、原発爆発。ここで米軍が救援出動しなければ、米軍は何のために日本各地の基地に駐留しているのか、との非難は免れない状況です。にもかかわらず、独断専行で空母ドナルドレーガンが韓国行きを急遽変更して、被災地仙台沖に到着したのは13日。米軍が組織的に救援活動を開始するのは3月16日からです。(「
トモダチ作戦、米兵はシャワーすら浴びなかった」日経BP)

 実は、アメリカのオバマ大統領は発災直後に、当時の菅総理に電話をかけ、人材、物資あらゆる面で全面的に支援するとの申し出をしています。原発事故後はアメリカ原子力規制委員会(NRC)からも連日連夜、何度も何度も支援の申し出がなされていますが、当時の菅官邸は全て無視しつづけました。NRCからの支援の申し出は、米軍からの支援も含むものですが、それらも含めて菅官邸は全て無視。しかし緊急事態ゆえに、NRCは日本側の無視にイラ立ちながらも、連日連夜、支援の申し出をつづけ、やっと16日になって、日本側の反応が少し出てきました。しかし具体的な支援の受け入れは、未だなされぬままだという状況は一気に改善はされませんでした。NRCとのやりとりはさらにつづきますが、ひとまずここまでとします。

 以上の米国政府機関とのやりとりは、NRCの議事録によるものですが、その詳細な内容は国会事故調報告書に収録されています。ここで疑問が三つ出てきます。一つ目は、当時の菅官邸はなぜ米国政府の支援の申し出を無視しつづけたのか。二つ目は、日本政府が正式に米軍の受け入れを承諾していないにもかかわらず、なぜ米軍は16日から被災地に米兵を派遣したのか。三つ目は、米国とのやりとりを記録した議事録は日本側にも残されているのか。

 一つ目の疑問への解 不可解の一語ですが、なぜかとの国会事故調の質問に対し、当時の枝野官房長官は、「日本だけで自力で対応すべきだと考えていたからだ。」という趣旨の話をしています。しかし菅官邸は、米国をはじめ世界中の国々から救援派遣の申し出があったにもかかわらず、それらを全て無視して、韓国軍の派遣だけを受け入れ、120人の韓国軍が発災直後の12日には被災地に入っています。米軍よりも先に韓国軍が被災地に入ったことになります。  

 二つ目の疑問への解 日本政府からの正式の要請はないものの、16日頃から日本側の対応にもやや変化がみられたということも背景にあったかと思われますが、米軍は正式の要請を待たずに、救援活動を開始しました。これが真相です。実は自衛隊も菅官邸の出動要請の出る前から独断専行で各部隊の派遣を決定し、被災地に入っていますが、これらの独断専行による救援活動によって、多くの人命が救われました。陸上自衛隊トップ、辞任覚悟の出動命令 東日本大震災の発災からわずか30分で下した決断(日経BP)

 なお16日頃からなぜ日本政府(菅官邸)の対応がやや変化したのか。この疑問への解は、15日の4号機の爆発により、福島第一原発の爆発が終了したということと、おそらく関連があるはずです。

 三つ目の疑問への解 当時の菅官邸は、原発事故対応に関する議事録はほとんど残していません。そもそも議事録を作成するという行政機関としての基本機能を破壊ないしは完全に無視して、一握りの菅官邸の私的グループで全てを決めていたからです。緊急事態が発生した場合は、官邸地下に造られた、危機対応のためのあらゆる装置が完備し、防衛省、警察庁、海上保安庁、消防庁などとも直つながった危機管理センターで、危機の度合いに応じた組織を作り、政府と全省庁が一体となって危機対応することが法律で決められていますが、菅官邸はこの法律(具体的には、原子力災害特別措置法=原災法)も完全に無視しています。

 国会事故調報告書によれば、危機管理センターは一度も使われなかったという。全閣僚を集めた閣僚会議ですら一度も開催されていません。一度でも閣僚会議が開かれていたならば、少なくともこの会議の議事録は作成されていたはずですが、会議そのものが開かれなかったので、菅官邸の危機対応を記録した公式記録はほぼ皆無だというのが実状です。菅官邸が、危機管理センターを使わなかったのは、政府、全省庁一丸となって緊急事態に迅速に対応するための、情報共有を意図的に拒否、遮断したことを意味しています。

 のみならず菅官邸は、原災法にも定めのある、現地対策本部への権限の一部委譲すら拒否しつづけました。周辺自治体とも密に連携しながら、現地の状況に即応した対策を採るためには、危機対応の長として内閣総理大臣が有する権限の一部を、現地対策本部に委譲することは不可欠ですが、菅総理は、発災直後、関係省庁から派遣された担当者によって現地に設置された現地対策本部からの、権限の一部委譲の要請が何度も何度も出されていたにもかかわらず、この要請すらも完全に無視し、危機対応の権限の全てを自分一人の手に握りつづけました。この菅総理と菅官邸の違法な対応が、大震災と原発事故の被害を拡大したことは明白すぎる事実です。

 閣僚会議すら開かれていないので、法律まで無視した菅総理による危機対応権限の違法な私的独占は、菅内閣の総意によるものではないはずですが、菅総理はなぜ権限の私的独占をつづけたのか。またなぜその重大な違法行為が許された(黙認された)のか。これらの疑問は、議事録はもとより、メモすら残されていないので、客観的な資料を基に解明することは不可能です。となると、状況証拠を基に推測する以外にはないわけですが、明確に浮上するのは韓国です。

 外国の軍隊で最初に被災地に入ったのは韓国軍ですが、この韓国軍が被災者の救援に当たったとの情報は皆無に近いので、被災地で何をしたのかは不明。また、福島原発の最初の瓦礫撤去には韓国企業が派遣されています。この選定は東電ではなく官邸が主導。おそらくこちらも議事録は作成されていないはずですので、なぜ韓国企業なのかは不明。しかも韓国政府(李政権)は、アラブ首長国連邦に輸出した原発建設が自力では不可能となっていた窮地を突破すべく、発災後、千載一遇のチャンスとばかり、東電の技術者引き抜きのために厚い札束をちらつかせながら、東電社員に次々と猛アタックをかけていました。これは週刊誌でも大々的に報じられていましたので、広く知られた事実です。状況を考えるならば、想像を絶する耐えがたい行為ですが、韓国政府に転がり込んできたこのチャンスが結果によるものなのかどうかは、熟考を要するところだろうと思われます。しかし韓国政府の引き抜きは成功せず、韓国の窮状は東芝が手を差し伸べて救済していたことが、最近、判明いたしました。
 
 以上の福島原発事故をめぐる菅官邸の不可解きわまりない違法な対応については、拙著『福島原発事故と巨大地震の正体』(1600円+税 オンライン書店、全国の書店)で詳細に解説しておりますが、福島原発事故に焦点を当てて書いた電子書籍『総理の乱心―福島原発事故の真相』(800円+税・・・Amazonのみ)でも詳述しておりますので、いずれかをご覧いただければと思います。

 東日本大震災、福島原発事故から7年が経った今、当時の菅官邸の違法な対応が、大震災の被害と原発事故の被害を意図的に拡大するためになされたものであったという事実を、我々日本国民は目をそらさずに直視すべきです。そして菅官邸によるこの恐るべき国家犯罪が、官僚組織も内閣の大半の閣僚も排除した異常な私的体制でなされた結果、事後にその対応を検証する基礎資料となる議事録はおろか、メモすらほとんど残されていないという驚愕すべき事実が何を意味するのか、あらためて問うべきではないでしょうか。

 目下安倍政権をめぐっては、森友学園問題をめぐる議事録書き換え疑惑がヒートアップしていますが、議事録すら残さない完全犯罪を犯した菅官邸の国家犯罪についても、森友、加計問題以上に厳しく追及しすることは、国会の国民にたいする喫緊の責務ではないでしょうか。当時の菅官邸の国家犯罪については、責任を問わないことを大前提にした政府事故調、国会事故調の聴取によって、そのアウトラインは明らかになりましたが、彼らの大犯罪に対するその罪は一度も問われることなく、7年が過ぎました。

 森友疑惑隠しは確かに許しがたい行為であり、佐川氏の証人喚問も避けがたいはずです。当然のことながら安倍総理の責任もゼロだとはいえないことも明らかですが、では誰に託せば日本の安全と民主主義体制が維持できるのかは、冷静に考えるべきではないかと思います。議事録すら残さない体制を作り、証拠を残さずに大震災と原発事故の被害を意図的に拡大した菅官邸の国家犯罪が全く無罪放免されつづけてきたことと、政治家の関与をその都度記した議事録を残したことで、その違法行為が疑われている現下の状況との、両者の違いの意味を、今我々はとことん考えるべきではないかと思います。


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