葦書房

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葦の日誌
37 03/10/27

消えた「葦の日誌」1〜16号(久本福子著) 復元版
「葦の日誌」17号以降は旧「葦の日誌」本文17〜35号「葦の日誌」目次(リンク切れ))


     
 

就任のご挨拶 平成14年11月1日

(Macのなかから発見しましたので再録します。05/7/18)

葦書房 代表 久本福子(ひさもと・よしこ)

(役員一人ですので法的に正しい表記は「取締役」だけでいいのですが、当時は知らずに「代表」をつけていました。久本福子05/7/18) 

 10月1日に三原浩良氏より経営を引き継ぎましたが、早一月が過ぎました。本来ならばもっと早く新任のご挨拶をすべきところですが、社員全員が辞めるという事態に遭遇し、その対応に追われ、ご挨拶が遅れてしまいました。新聞各紙にも「異常事態」として報じられましたが、読者の皆様をはじめ関係者の方々には大変なご迷惑をおかけいたしました。

 私にとりましても、社員全員の退職は予想外の出来事でした。しかしながら呆然とする暇もなく、業務の停滞を避けることに全力を傾注してまいりました。幸い少人数ながら、新しい優秀なスタッフも入社し、「異常事態」による苦境をなんとか乗り越えることができました。

 とはいえ、十分な引き継ぎもなく全社員が辞めた後遺症は今もなおつづいており、関係者の方々には多大なご迷惑をおかけしています。ことに編集関係では、その影響はかなり大きいものと思われます。編集の実際上の責任者は小野氏ですが、彼からは自費成作の見積書のありかを教えられた以外には全く引き継ぎはなく、編集関係の引き継ぎは三原氏に全て一任されていました。

 三原氏から引き継ぎのあったものは『近世紀行文集』の続編刊行と、一年前に西日本文化協会より出版計画が示されているにもかかわらず、今にいたるも出版契約締結には至っていない『祝部至善画文集』の二点のみです。二点のみなどとはありえず、他に引き継ぐべきものがあるはずだと何度も念を入れて確認しましたが、その都度他にはないとの返答が返ってくるばかり。社内での引き継ぎでしたので社員全員がこのやりとりの内容は承知しているはずです。しかし、引き継ぐべき編集の仕事はこれ以外にもいくつもあったことが、この一月の間に判明しております。自責成作を含めて著者からの問い合わせや依頼があってはじめて分かった次第です。

 引き継ぎのあった『近世紀行文集成』についても、三巻が校正途上にあることは、本書の校正を外注している方(三原氏の友人)から連絡があってはじめて分かった次第です。事の次第を三原氏に問い合わせましたが、校正者の住所等の連絡先も教えてもらえず、引き継ぎは形だけのもであったといわざるをえない状況です。なを、校正者は現在御夫婦ともに入院中だとのことですが、入院先も不明です。

 以上、これまでの経緯を概略ご説明申し上げましたが、編集関係も早急に状況を把握いたし、出版活動を本格的に軌道に乗せたいと考えております。どうかよろしくご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

  平成14年11月1日

 


1.玄洋社と夢野久作 02/11/14

日本の近代化の実相は、正史として記された表の動きだけではなく、日本の近代化を裏から支えた人々の存在抜きには、その全貌をとらえることは不可能です。当社は創立以来、そうした人々の存在を世に問うことを。仕事の根幹に据えて参りました。筑豊の地底に光を当てる仕事をはじめ、玄洋社<『筑前玄洋社』『玄洋社社史』『頭山精神』『頭山満翁写真伝』『頭山満と玄洋社物語』(在庫切れ)『頭山満正伝』(在庫切れ)『明治民権史論』『中野正剛自決の謎』>と、その流れを汲む人々や志を同じくする人々<『廣田弘毅秋霜の人広田弘毅宮崎兄弟伝』日本篇上・下、アジア篇上・中・下、『龍のごとく』>の業績を、あらためて世に問うて参りました。

ことに、「公と私」の関係があらためて問われている今日、玄洋社の果たした役割の見直しは、きわめて今日的なテーマであろうと思われます。頭山満を頂点にした玄洋社社員、盟友杉山茂丸。彼らの誰もがその存在そのものにおいて、すでに巨大な1冊の書物ともいうべきものですが、彼らの残した「遺児」たちも数々の「書物」としてその存在を生き、世を去っています。

夢野久作とその子息たちは、その代表的な存在です。当社は久作(『夢野久作著作集』)をはじめ、子息の杉山龍丸(『砂漠緑化に挑む』)、杉山参緑氏(『種播く人々』)の著作を出版して参りました。旧著とはいえ、今なお新鮮な感動を呼ぶものと思います。

当社の今後進むべき方向を確認する意味もあり、当社の背骨をなしてきた出版物の一つである「玄洋社と夢野久作」を、読者の皆様にもご紹介いたしました。ぜひとも、ご愛読くださいますようお願いいたします。(久本福子)

■『砂漠緑化に挑む』は、渇水に悩むインドの大地に水を呼び戻すべく、私財を投げ打って植林に励んだ著者杉山龍丸氏の活動をまとめた感動の書です。杉山龍丸氏は、渇水の地に井戸を掘って水をくみあげるのではなく、大地そのものが自ら水を生み出せるようにとの人智を超えた壮大なプロジェクトに、たった一人で挑んだ怪人=快人です。そして怪人=快人の夢は現在、見事な緑となって現実のものとなっているそうです(杉山満丸『グリーン・ファーザー』)。03/10/27久本福子


2筑豊と熊本 02/11/15

(1)
「筑豊と熊本」は葦書房の歴史を語る場合、欠かすことのできない重要な地域ですが、それぞれの土地との縁は、そこに住まう人々との縁にほかなりません。

筑豊との縁はいうまでもなく、今は亡き上野英信氏と山本作兵衛さんとの深くて熱い交流の中から生まれたものです。作兵衛翁の『筑豊炭坑絵巻』は、全マスコミの注目を浴びる大出版事業となりましたが、この『絵巻』の出版は、葦書房の名前を全国に知らしめたばかりではなく、地方出版の存在そのものを全国区規模で浮上させました。
それほど威力のある出版だったわけですが、同書の出版は葦書房の経済的な基盤の確立のみならず、出版社としての方向性を確立する上でも決定的な意味合いを持っています。この出版は、「筑豊」という土地の持つマグマとの出会いを意味したからです。

上野英信氏は、いわば彼の地のマグマの主として筑豊に生き、筑豊に逝った作家ですが、最後の作品となった『写真万葉録筑豊』全10巻は、まさに作家がその生命であがなった作品でした。英信氏はこの作品10巻の完成後間もなく癌で入院、帰らぬ人となりました。

この『万葉録』は英信氏が国内ばかりでなく、海外にまで足を運び収集された写真を中心に、大勢の方々からもご協力をえて完成したものですが、当時、この大仕事の行方を危ぶんで、葦書房倒産の噂が流れました。事実、非常に厳しい経営状況だったのですが、創業者社長久本三多は、倒産しようがどうしようが、この本だけは出すと、この出版に命を賭けていました。その久本三多も亡き人となりましたが、残された『万葉録』は今もなお、新しい読者を発見しつつあります。

(2)
この筑豊と並び熊本も、葦書房の位置を定めるアンカーともいうべき「場所」でした。そのアンカーの核ともいうべき人物が渡辺京二氏です。創業間もない頃に出した季刊誌『暗河』(くらごう)をはじめ、『神風連とその時代』『日本コミューン主義の系譜』『言葉の射程』『小さきものの死』『地方という鏡』『なぜいま人類史か』等、渡辺氏の著書の刊行は、葦書房の重要な仕事の一つでした。

熊本は筑豊とは違った角度から、正史を裏面から射抜く力をもった土地柄ですが、渡辺氏の仕事もその力を具現したものであると思います。渡辺氏の著作集が、旧著の一部を含めて葦書房で刊行中ですが、30年近くに及ぶ葦書房と渡辺氏との関係が、一気に結実したとの感があります。

『天の病む』『潮の日録』『常世の樹』『海と空のあいだに』『花をたてまつる』『蝉和郎』等の石牟礼道子氏、『宮崎兄弟伝』の上村希美雄氏、『争議屋心得』『風と甕』の松浦豊敏氏、その名を目にするだけでズシリとした手ごたえを感じる方々ですが、創業時から今日まで、葦書房との深い縁がつづいている方々です。(久本福子)

バーコードの間違いについて
松下紘一郎著『茂吉さんはわたしの友人でした』(02年9月刊)のバーコードが別の本のバーコードになっています。申し訳ございませんが、レジでのご清算時は、バーコードを使わずに、定価表示をご覧ください。

3 葦書房と渡辺京二氏 02/11/16

渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(和辻哲郎賞受賞)は、刊行依頼ロングセラーをつづけていますが、つい先日、某取次では同書は絶版扱いにして書店からの注文を受けないとの話を聞き、びっくりしています。某取次からも同書の注文はきていますので、たまたま当の担当者な勘違いか何かで絶版扱いにされたのだと思いますが、『逝きし世の面影』は在庫は十分にございます。どしどしご注文ください。
本書は題名どおりに、われわれ日本人が失ったものは何かを、外国人という「外部」の目を反射鏡にしつつ明らかにしたものです。豊富な資料を博捜して書かれた大部なものですが、読み出すと、本の厚さを忘れてしまうほどです。

渡辺京二氏の新著は『評論集成』として、『日本近代の逆説』(渡辺京二評論集成T)『小さきものの死』(同U)『荒野に立つ』(同V)『隠れた小さい径』(同W)が刊行されています。渡辺氏は主要執筆者のお一人ですが、創業者の久本三多は、葦書房を経営する上で、渡辺氏からは思想的に多大な影響を受けております。葦書房の地方出版としての位置の定め方も、渡辺氏の思想に負うところ大ですが、氏の長年にわたる著作をまとめた『評論集成』を前にしますと、渡辺氏のお仕事の重みとその大きさに思いを新たにいたします。近年、渡辺氏の著作が広く読まれていますのも、時代が渡辺氏を求めている証左であろうと思われます。

なお、葦書房に関するいろいろな風評が飛び交っておりますが、少人数ながらも元気に営業をつづけております。よろしくご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。(久本福子)


4 山本作兵衛さんと菊畑茂久馬氏 02/11/17

『筑豊炭坑絵巻』は葦書房の存立とその後の行方を決定した作品でしたが、本書刊行は画家菊畑茂久馬氏の存在抜きには語ることはできません。菊畑氏は作兵衛さんの絵を記録画の桎梏から解放した最初で最高の画家ですが、当時この「絵巻」をどのような形で出版するかで、葦書房内部で対立がありました。豪華な画集体裁で出すか、普通の単行本で出すかの対立です。その背景には創業後間もない時期で、ろくに給料も出せないという経営上の脆弱さがありました。高額の制作費をかける余裕などはなく、反対意見にも現実的に判断すればもっともなところもありましたが、久本三多は豪華本で出すとの考えを譲らず、ついに反対者は退社を決意、別会社梓書院を設立するという事態にまでなりました。昭和47年(1972年)のことです。

葦書房が『筑豊炭坑絵巻』を出すのはその後のことですが(昭和48年1月刊)、『絵巻』の魅力のすべては画集として編集したことに由来します。久本三多自身も作兵衛さんの絵に惚れ込んでいましたが、多額の負債を負うかもしれないというリスクを冒してでも、高価な画集として出版することにこだわりつづけた背後には、作兵衛さんの絵を絵として高く評価した菊畑茂久馬氏の存在があったからだろうと思います、久本三多の作兵衛さんの絵に対するこだわりは並ではなく、その後さらに豪華な作兵衛さんの画集『王国と闇』を出版しています。これは総カラーの限定出版でしたが、菊畑さんの力のこもった解説も収録されています。(この解説は作兵衛さんの絵を媒介にして、「近代」とは何かを鋭く分析したもので、特異な近代化論ともなっています。03/10/27)(久本福子)


5 葦書房が2つある? 02/11/22

福岡市中央区草香江(九州大学六本松校舎の近く)に葦書房という古書店がありますが、昔は「芦書房}という店名でした。「芦」の名前の頃でも当社葦書房としばしば混同されていましたが、葦書房の名前が広く知られるようになった頃に、なぜか同じ「葦書房」に改名(字)されています。同じ名前なので当社と関連があると誤解される場合もありますが、まったく関係はありません。つい最近もある所で、古書店葦書房が出版も始めるらしいとの話を耳にしています。単なる噂なのかどうかは分かりませんが、古書店葦書房と当社とはまったく関係のないと再度強調しておきます。(久本)


6 六鼓菊竹淳 02/11/23

今年の秋の叙勲で紫綬褒章を受賞された木村栄文氏も葦書房と縁のある執筆者のお一人ですが、1975年に同氏が書かれた『六鼓菊竹淳』を出版しています。テレビドキュメント制作時の取材や資料をもとにして書かれたものですが、葦書房にとっても同書の出版は、『筑豊炭坑絵巻』とは違った評価を得ることになった記念すべき作品です。六鼓と葦書房の共通項を示す出版社としての評価です。すなわち権威におもねらない、独自の姿勢を貫く姿勢において、両者のイメージは見事に重なりました。

しかし不可解なことには、当葦書房のサイトの既刊本一覧には、この記念すべき作品が見当たりません。書名検索の「ロ」のリンクも切れています。リンクを貼ろうとしたのですが、ファイルそのものが、どこにも見当たりません。パソコン担当の元社員からもパソコン関連の引継ぎは一切なく、一言の説明もなければ、一文字の説明も残されておりません。なぜ「ロ」のリンクだけが切れているのか不明です。あるいはもともと「六鼓」の「ロ」はネットの目録からははずされていたのかもしれません。古いほんですので在庫は僅少ですが、仮に在庫切れであっても、その旨を表示してでも目録に残すべき作品です。

朝日新聞社から97年に同じ木村栄文氏の『記者ありき 六鼓菊竹淳』が出て以来、こちらの著書のみ有名になり、原『六鼓』は無きに等しい存在になっていましたが、先日某書店さんから原『六鼓』の注文をいただきました。昔を知る人もまだご健在だと知ってほっとしました。叙勲の効果なのでしょうか。(久本福子)

* 陶芸家細川護ひろ氏

突然話が変わりますが、今日、中央郵便局に行く途中、岩田屋の前で細川元首相の陶作展の案内を目にしてのぞいてみました。一目見てビックリしました。本当に細川氏ご本人が作られたのかと疑ってしまったほどです。それほど見事な出来栄えの作品ばかりが並んでいたからです。おまけに作陶暦3年半だとのこと。それまでは陶器などにはほとんで興味もなかったそうですが、日本の代表的な陶器が何種も並んでいます。細川氏個人の歴史と血脈としてうけ継がれてきたであろうものの作用を感じざるをえない展覧です。同時に展示されていた書も見事。文化とは何かをあらためて問いかけている展覧でした。細川氏をめぐる政治的な問題を棚上げにしてでも、必見の価値あり。おもけに入場無料です。会期は11月25日まで。天神岩田屋8F.。(久本福子)


7 近刊のお知らせ 02/11/25

近刊のお知らせをしたいと思いながら、どのような形でお知らせすべきか迷っているうちに、早11月も終わろうとしています。「お知らせ」コーナーでは、以前から近刊予告をしておりますが、今回の代表交代に伴い、大半が予定の変更を余儀なくされています。前任者からは、『近世紀行文集成』と『祝部至善画文集』以外はすべてキャンセルしたので引き継ぐ必要はないといわれていますが、そのような処置が妥当なのかどうか、また著者の方々からも直接お尋ねしたいとの思いもあり、刊行されたもの意外はそのまま残しています。諸々の事情もあり、刊行されたもの以外はそのまま残しています。諸々の事情もあり、確認作業を進めるにはしばしの時間が必要です。それまでこのコーナーは、そのまま残しておきたいと思います。

10月1日以降、新体制になってから新たに加わった刊行予定につきましては、とりあえず「日誌」にて紹介しようと思います。今日ご紹介しますのは、次の3点です。(久本福子)

■新刊案内■
『子守唄の里からーいまダム建設が問いかけるものー』 海有一著
『茂吉と九州』 合力栄著
『今日も元気!』(仮題) 宮地六美著
(説明略)
タイトル変更→『冬はニューヨーク、夏は玄界灘で』
(05/8/3 上記3点リンクを貼りました。久本福子)


8 九州の地力 02/11/29

あらためていうまでもなく、文化はそれ単独で生成したり、抽象的に存在するものではありません。文化とは人の営みそのものであると同時に、人の営みによって生み出される結果でもあるわけです。一般的に鑑賞の対象となりうるのは、日々の営みから隔離された結果としての文化ですが、人の営み、生活の主軸をなしているのは、生産活動です。しかし生産と消費の垣根が非常に低くなった現在、文化生成の原点とは何かとの問いは、かつてとは違った意味合いをもってくると思われます。この新たな問いに行き当たったのも、葦書房の歴史を振り返った結果です。

葦書房がこれまで出版してきた書物の数々は、本という形に凝縮された文化にほかなりませんが、そのいずれもが、鑑賞物としての文化とはまったく無縁の場所から、結果として残されたものばかりです。それらを簡単に享受しうるわれわれは、残された結果としての文化の巨大さには驚嘆しますが、それらを生み出した熱源とは何であったのかは、ほとんど問うことすら忘れています。生産現場が圧倒的な力をもっていたかつての時代と、生産と消費とが混然としつつある現在とでは、文化の原点に向ける眼差しには当然違いは出てきますが、基本は見かけ上の違いほどには、そう大きくは変わらないとも思われます。

九州は、かつては日本のエネルギー基地であったわけですが、この位置と文化生成力とはけっして無縁ではありません。この文化生成力とは九州の地力であり、九州の磁力とでもいうべきものですが、この磁力を一身に浴び、放射しつづけた作家のお一人が森崎和江さんです。森崎さんは『暗河』創刊時からの執筆者のお一人で、葦書房との関係も古くからつづいています。『匪賊の笛』『私的言語の萌える頃』『風になりたや旅ごころ』『きのうから明日へ』。(久本福子))


9 B29の空襲に消えた「第九」 02/12./3

『昭和激動の音楽物語』(ISBN4-7512-0828-4 、2200円+税)は本年3月に発行されましたが、新刊委託本の清算時にあたる9月から10月にかけて、大量の返品が戻ってきました。数ある返品のなかにはやむをえないと思わざるをえない本もありますが、この本だけはなぜこれほど大量の返品があるのかまったく理解不可能でした、9月末には代表交代に伴う混乱を予想してか、かなりの返品がありましたが、この本はそれらはとはまったく異質の、単なる委託本の返品でした。

筑紫哲也さんや黒柳徹子さんのテレビでも紹介され、新聞の書評欄でもとりあげられました。普通ならかなりの売り上げが見込めるはずですが、事実は大量返品でした。なぜか不可解千万です。テレビは見ていませんので、どういう内容だったのかは分かりませんが、本書の面白さは、未だ十文には伝えられていないのではないかと思います。ある書店では、本書を戦争物のコーナーに置いていたとのことを聞き、ビックリしました。しかし本書の帯の宣伝文を読めば、その選択もやむをえないかもしれません。

正直にいうと、「なぜ軍歌を歌わんか!」と軍部の横暴を象徴するこの一文を大書した本書の帯は、本書の核心部分、本書の何が読者を感動に誘うのかは、まったく伝えていないといわざるをえません。遅ればせながらお侘びを申し上げます。本書の主舞台は、日中戦争から太平洋戦争下における戦時下の日本ですが、軍の横暴を暴くことに主眼を置いたものではありません。とことん音楽を愛しぬいた一人の音楽プロデューサー、著者高橋巌夫氏の、戦時下における特異な活動を語ったものです。高橋氏は、クラシック音楽を楽しく聴くコンサート開催を願って音楽プロデュースの仕事をはじめたのですが、空襲警報下でもコンサートを次々開催。戦時下の年末にも「第九」のコンサートを企画開催しています。その内の一つ、昭和19年の年末「第九」は、B29の襲撃激化でやむなく中止になったものの、それにもめげず高橋氏は、東京大空襲ですべてが灰燼に帰すまで次々とコンサートを開催しつづけます。

クラシックという特異な分野が可能にしたとはいえ、今からは想像しがたい光景です。これはひとえに、高橋氏の音楽にかける熱情が可能にしたものです。クラシックに興味のない方にも、高橋氏の音楽にかける静かな熱情ともいうべき思いは、感動を与えずにはいないと思われます。「第九」の季節到来を機に、あらためて本書をご紹介いたします。(久本福子)


10 「記憶」=歴史 02/12/5

「記憶」とは歴史の別名にほかなりませんが、われわれ人間はもとより、小さな石ころにもそれぞれの記憶として歴史は刻まれています。そうした記憶=歴史の堆積として今、現在はあるわけですが、現在も未来も過去とのつながりを確かめることなしには、その姿をつかむことは不可能です。ことに興亡をくり返した戦乱の時代の歴史は、人の世の営みの様々な問題が凝縮されているはずです。吉永正春氏は、九州随一の戦国史家ですが、葦書房の創業間もない頃に『筑前戦国史』を出版、以降『乱世の遺訓』『筑後戦国史』『九州戦国史』『九州の古戦場』と刊行がつづいています。いずれも版を重ね、現在は『乱世の遺訓』以外はすべて新装改訂版になっています。(『九州戦国史』のみ在庫切れです。)

なお、本日より、倉庫に眠っている逸品本を、蔵から出してお勧めするコーナーを設けました。題して「蔵出しいっぽん(逸本)」。随時ご紹介いたします。(久本福子)

蔵出しいっぽん! (1)  02/12/5
本日の「蔵出しいっぽん」は、記憶=歴史のテーマにちなみ、まさに博多の町の「記憶」を綴った、菊畑茂久馬氏の『焼け跡に海風が吹いていたー僕のはかた絵日記』
(画像をアップしました。05/8/2)をご紹介します。近年、博多の町は大きく変貌しつづけていますが、かつては確かにあった博多の町と人々の姿が、絵日記風に綴られています。絵も文章もホンワカ、ぽかぽか。重厚な油絵を描き、鋭い批評文を書く菊畑氏のもう一つの顔です。
1984年刊 1339円+税 A5変型 160頁


11 音の記憶<音楽3題> 02/12/7

音をめぐっても記憶は堆積していきます。古来から堆積されてきた音のみならず、あらたに出現した音も、音の記憶に突然変異を起こしつつ、音の歴史を作っていきます。西洋音楽の受容は、日本人の耳に突然変異をもたらしました。耳、聴覚は人間の五感のなかでは最も原始的な記憶をとどめている器官の一つだといわれていますが、西洋音楽はその記憶に突然変異を引き起こしました。その衝撃に遭った人々の活動をまとめた本が、相次いで3冊出版されています。すでにご紹介しました『昭和激動の音楽物語』のほか、『戦争歌が映す近代』と『光芒の序曲ー神保三郎と九大フィル』です。

堀雅昭氏の『戦争歌が映す近代』はタイトルほどには厳しい内容ではなく、軍歌誕生にまつわる興味深いエピソード満載の読物です。半澤周三氏の『光芒の序曲』は、一地方楽団の誕生と活動の歴史が、日本の近代音楽の歴史と重なるようにして語られたものです。(久本福子)

蔵出しいっぽん!(2) 02/12/7
本日は個人の歴史を綴った、天野哲夫氏の『禁じられた青春』上下をご紹介します。著者は、奇書=貴書として名高い、あの『家畜人ヤプー』の著者沼正三氏です。素顔の歴史を綴ったものですが、「沼正三の本を出す!」と興奮したような久本三多の声が、今、耳もとに蘇ってくるようです。さて、その素顔とはいかに。
1991年刊 上下とも3155円+税 四六判 上製 上532頁 下542頁


12 歩く<歴史編> 02/12/12

人間は歩く動物である、という定義のようなものがあるのかどうかは不明ですが、われわれ人間は、横になって寝る(眠る)以外は絶えず歩いています。<歩く>ということは、人間のもっとも基本的な行動だといえそうですが、実は葦書房にとっても、<歩く>シリーズはもっとも基本的な出版物の一つになっています。

森弘子さんの『宝満山歴史散歩』は、昭和50年(1975年)に初版を発行しています。大宰府天満宮の近くに住んでいた頃、長男が天満宮の付属幼稚園に通っておりましたが、父親の三多も当時の宮司西高辻信貞氏の知遇を得てしばしばお伺いしておりました。三多は宮司様の視野の広さにいたく感服しておりましたが、宮司西高辻氏の勧めにより同書の出版は実現しました。刊行以来今日までロングセラーとして長く読み継がれてきましたが、2000年に大幅に増補改訂された『宝満山歴史散歩』が出版されています。ISBN4-7512-0769-5 1600円+税 四六判 並製 

この日誌は当初は、葦書房の歴史を簡単にご紹介するつもりで書きはじめました。書誌データは、当ホームページの既刊本コーナーの歴史でご検索いただけますので、書名以外のものは書かずにきましたが、検索できないものもあり、書誌データも書き添えることにしました。書誌データの不足についてはいずれ補足いたしたいと考えていますが、とりあえずこの日誌で必要に応じて補うことにいたします。ご了承ください。(久本福子)

蔵出しいっぽん!(3) 02/12/12
今日の出しものは長尾トリさんの『ごりょんさんの古箪笥』  
われわれの暮らしはさまざまなしきたりや風習に彩られ、かつ「規制」されつつ営まれるものですが、博多に伝わる風習などを老舗旅館の女将が書き綴ったものです。
昭和56年刊 四六判 並製 1300円+税


蔵出しいっぽん!(4) 02/12/18
1回に一冊と決めていましたので前回はご紹介しませんでしたが、同じ著者の関連本はむしろ一緒に紹介すべきであったと反省しています。それに1回1冊という決まりもあまり有意義とも思えません。今回は、長尾トリさんの著書を2冊ご紹介します。

『ごりょんさんの台所』   かつて人々の暮らしを彩っていた、四季折々の山海の恵みを豊かに語り尽くしたものですが、小気味のいい文章そのものも絶品です。
昭和59年刊 四六判 310頁 1400円+税

ごりょんさんの博多料理』  博多ンモンもそうでない人も必読の料理本!
四季折々の料理はもとより、正月料理の名指南役。
昭和59年刊 A5判変型 164頁 1300円+税
(05/8/3 リンクを貼りました。久本福子)


13 歩く<自然編> 02/12/18

<歩く>シリーズは葦書房の定番商品の一つとしてロングセラーをつづけていますが、『福岡を歩く』や『マイカーで行く九州百山峰』をはじめ、九州各地の数々の<歩く><登る>のガイドブックはいずれも1980年代のはじめ頃から刊行がはじまり、その後改訂を重ねながら、現在まで多くの読者の方々に愛読されてきました。『マイカーで行く九州百山峰』も80年代に刊行されていますが、その後改訂を重ね、現在もロングセラーをつづけています。近年は広島、岡山などの中国、山陽地方のガイドブックも出しています。自然を求めて<歩く><登る>というのは、われわれ人間の、生物としての自然が求める、ごく基本的な欲求の一つだろうと思います。<歩く><登る>シリーズが永遠のロングセラーをつづけるゆえんです。

具体的に書名をあげてご紹介したいのですが、ここに書き添えるには数が多すぎますので、既刊本コーナーのアウトドアでご検索ください。本来ならば、ここでリンクを貼るところですが、なぜか既刊本のファイルが当社のパソコンには保管されていません。Web上には存在しますが、不可解です。このトップページだけは保管されていました。仕事上必要な名簿のファイルも名簿と記名されたフォルダだけは残っていますが、中身はもぬけの殻。もぬけの殻はほかにもありますが、「立つトリ、後を残さず」という感じです。前回は書くべきか否か迷いながら書かなかったのですが、なぜリンクを貼らないのかと不可解に思われる方もおられるかもしれず、事実の一部を報告します。外部からもこのパソコン内に侵入されるおそれもありますので、当分はこのトップページ一枚のファイルだけを使うことにしています。(完全に消失していた「登山・アウトドア」のファイルを新規に作り直し、リンクを貼りました。05/6/21久本福子)


14 空襲に消えた「第九」・続 02/12/22

12月3日に「空襲に消えた『第九』」と題して、高橋巌夫氏の『昭和激動音楽物語』の読後の感想を書きましたが、言葉足らずで、むしろ誤解を招きかねない内容でした。「第九の季節」と関連づけようとするあまり、「第九」を強調しすぎました。しかし空襲のさなか、「第九」の「歓喜」を歌い、聴くという光景は、考えようによっては不気味に思えますし、狂気じみたものにも思われるかもしれません。ひょっとすると、ナチスのワーグナー以上だとの誤解を招くおそれもありそうです。著者高橋氏の名誉のためにも、また本書の内容を正しくお伝えするためにも、「続編」を書き加えたいと思います。

あらためていうまでもなく、高橋氏は徹頭徹尾平和を愛し、音楽を愛し抜いた音楽プロデューサーです。「第九」の選曲は、著者自身、人生の谷間にあった時期に、人から勧められてはじめて聴いた『第九」に生きる力を得たという体験にもとづいたものであり、戦時下の人々に生き抜く力を与えたいとの一心からでした。

日本の軍部もナチスをまねて、音楽も「兵器」として利用しようとしたのは確かですが、ナチスばりに高度な戦略を駆使したわけではありません。本場西欧のファシズムと西洋音楽を移入して間のない東洋国日本の軍部との違いは決定的だったと思います。同盟国のドイツやイタリアの曲(クラシック音楽の中枢国)の演奏は自由、戦意高揚どころか、厭戦気分を誘うようなワルツもどしどし演奏されています。「第九」は、そうした数ある演奏曲目の一つにすぎません。軍部が演奏に際してつけた条件は、アメリカやフランスなどの敵国の音楽の演奏は厳禁、日本人の作品を必ず演目に加えることでした。はっきりいって当時の日本の軍部の、音楽の「兵器化」戦略は非常に単純だったと思います。高橋氏が自由に演奏会を開催しつづけることができたゆえんです。

なお高橋氏は現在85歳のご高齢ですが、音楽プロデューサーとしての仕事のほかにも、歌曲の作詞、オペラの台本まで書くという活躍ぶりです。さらに驚いたことには、スキーヤーとしてスキーの指導なでなさっている、現役のプロスキーヤーです。来年5月に高橋氏のプロデュース演奏会が東京文化会館で開かれます。(久本福子)


蔵出しいっぽん!(5) 02/12/22
もう一つの定番料理本をご紹介します。安部エミさんの『おばあさんの漬物』(ISBN4-7512-0488-2 1500円+税)と『おばあさんの惣菜』(ISBN4-7512-0642-7 1600えん+税)です。
『漬物』の初版は56年の刊行ですが、当時安部さんは出版をずいぶんためらっておられました。ご謙遜ゆえにですが、孫子の代まで読み継がれる料理本の一つです。(05/8/3 リンクを貼りました。久本福子)


アッサラームアレイクン <あなたの上にやすらぎがありますように>
       東松照明写真展in福岡

戦火にまみれる前の、アフガニスタンの人々の暮らしや風物を写した写真展。岡友幸氏のサイトで紹介されています。


15 水俣 02/12/25
<「水俣病事件資料集」と久本三多>

1996年12月に『水俣病事件資料集』(上下セット)が刊行されましたが、実は本書は久本三多の存命中に、印刷間際の段階まで編集作業が進んでいました。ところが刊行されないまま、10数年もの長い「眠り」を余儀なくされてきました。紙型までできているときかされていましたが、そこまで進んでいた作業をストップせざるをえなかったのは、刊行するだけの資金的余裕がなかったからです。印刷所にとっては迷惑この上ない事態だったと思いますが、「あれがある」と時折口にしていました。「あれ」とは「資料集」のことです。すぐには出す資金的余裕はないものの、この言葉には出版事業者としての自負がこめられていたはずです。

しかし、よほど出したかったのだろうと思います。久本三多は余命いくばくも残されていなかった病院のベットから、長年出したくても出せずにいいたこの本の出版刊行を決意し、断行指令を出しました。しかも社員にではなく、社外のある人物(三原氏ではありません)に刊行作業を進めるように委託していました。わたしもその旨の報告を三多から聞かされ、その人物に作業進行を共々お願いしましたが、その時は編集担当の社員では頼りないのだろうと単純に考えていました。おそらくそれも理由の一つだっただろうと思いますが、その後のさまざまな事態の変転を知った現在では、別の事情もあったと判断しています。(この日誌を書いた時点では、あまり露骨には書けませんでしたが、この仕事の外部への委託は事実上の葦書房乗っ取り作戦(リンク切れ)の一つだったわけです。当時はわたしはもとより、三多自身も夢想だにできなかった罠だったはず。03/10/27)ともあれ、『水俣病事件資料集』刊行は、久本三多の手によって作業の手配はなされました。

自らの命を担保にした資金調達を考えての出版断行だったと思いますが、三多本人は、刊行を自分の目で確かめることができると確信していたはずです。しかし刊行されたのは三多の死後、2年半も後のことでした。三多が準備していたものそのままではなく、あらたに出版作業が進められたのかもしれませんが(詳細についての公開は控えさせていただきますが、新たな作業の追加はまったくなく、三多が自ら編集作業を進め、指示したそのままで刊行されていたことが判明しております。三多の死後2年余りもの後の刊行になったのは、三原浩良氏の力で本書が刊行されたとの印象を捏造するためにほかなりません。05/6/21 久本福子)、基本は三多が準備していたものがもとになっているはずです。この『資料集』の刊行後、水俣病関係の本が続刊されていますが、いずれも葦書房創業時からつづく仕事の集積です。水俣病センターの相思社とも、夏はなつみかん、冬は寒干し大根で活動資金をつくっていた頃からの長いおつきあいがつづいています。(久本福子)

なお水俣病闘争に関する、石牟礼道子氏編『天の病むー実録水俣病闘争』を昭和49年に刊行、1968年には水俣病を告発する会編の『縮刷版「水俣」』を刊行しています。同年には「わたしにとっての水俣病」編集委員会編の『水俣市民は水俣病にどう向き合ったか』も出版しています。なお、『水俣市民は水俣病にどう向き合ったか』は2000年に新装版が出されていますが、初版とあるのは間違いです。

(三原時代になされた「初版」捏造はほかにも類例多々あり。
この日誌を書いた後に、『資料集』刊行を大きな紙面を使って報じた1988年頃の日付の入った新聞の切り抜きをみつけました。今回あらためて日付を確認しようと思ったのですが、保管していた所に見当たらず詳細な日付は目下のところ不明。いずれにせよ新聞で大きく報じられるほど、出版の準備が進んでいたことは事実です。それがなぜ三多の死後2年半もの後の刊行になったのか、不可解しごく。事情の知らない人が見れば、三原氏が0から始めた仕事であるかのうように誤解するかもしれません。あるいはその誤解も狙いの一つだったのかもしれません。この後、出版、新聞業界を
中心にした異様な三原讃仰の大合唱が一気に加速しはじめました。03/10/27 久本福子)
水俣病研究3号について
有馬澄雄氏提訴裁判

謹賀新年 03/1/1
昨年十月に新体制で出発しましたが、想像以上の厳しい日々がつづきました。最悪の事態を』予想される状況にありましたが、なんとか危機は脱することができました。またこの二ヵ月間は、葦書房の歴史をあらためて振り返る日々でもありました。一地方出版社の三十数年の歴史は「出版は永遠なり」と力強く語りかけています。この声に励まされつつ、新年を迎えました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
平成十五年 元旦
 葦書房

今年の年賀状です。ホームページよりあらためて新年のご挨拶を申し上げます。
葦書房 久本福子 (03/1/7)


16 独自ドメイン取得 03/1/15

独自ドメインを取得しました。サーバーも変更する予定にしていますが(現在はまだ以前からのOCNのサーバー)、移転作業に手間取っております。ホームページの更新が途絶えていますが、アップロードが可能になるまでお待ちください。少し時間をかけて、ホームページの全面的なリニューアルも考えています。
葦書房の新しいURL http://www.ashishobo.co.jp/
(結局この新アドレスは一度も使っていません。05/6/21)

メールアドレスも新しくなりますが、当面は旧アドレスを使います。よろしくお願いいたします。
(以下略)

●ホームページアドレスURL,メールアドレスともに
当分、旧アドレス=現在使用中のアドレスhttp://www1.ocn.ne.jp/~ashi/
を使います。
(03/10/27)
現在もこのアドレスhttp://www1.ocn.ne.jp/~ashi/です。
今後も変更する予定はありません。(05/6/21久本福子)

蔵出しいっぽん 6 03/1/15(正しくは02/12/25)↓

寺井谷子著「街・物語」 PHOTO×HAIKU
四六判・116頁・1456円+税


旧「葦の日誌」の「蔵出しいっぽん」で本書をご紹介したのですが、本書ならびに「蔵出しいっぽん」6号が、復元ファイルからも漏れていたことに昨日初めて気づきました。当時、本書を1箱分長男が倉庫からもってきたのですが、注文もないのになぜもってきたのかと、訝しく思いながら本書を手にして納得いたしました。倉庫に眠らせておくには惜しい!ということでした。俳句でこれほど斬新な表現ができるのかという驚き、写真のすばらしさ!写真と俳句の緊張感あふれる絶妙な関係。造本は簡素なものですが、俳句のみならず、日本語の可能性を大胆に押し広げた句集です。

以上は当時の推薦文そのままの復元ではありませんが、あらためてお薦めいたします。旧「葦の日誌」の復元からも漏れていましたので、残っていたプリント版からも漏れていたということです。日付は当時と多少違うかもしれませんが、位置としては「葦の日誌」16号の後だろうと思われます。日付を03/1/15としたゆえんです。(05/6/27久本福子)

●05/7/18 Macの中をいろいろ探していたところ、古い「葦の日誌」も発見しました。「街・物語」も残っていました。以下にご紹介しますように、この時はわたしが自分で倉庫で発見したように書いておりますが、当時は自分の息子の手柄のように紹介するのがはばかられ、わたしの名前だけを出しております。代表交替後は、倉庫担当は息子とわたしの二人です(05/7/26 現在はわたし一人で倉庫を担当。長男は昨年来より、長期の免許停止中).。また最初の紹介文は、毎日新聞の編集も褒めた内容になっておりますので、その後の「毎日」の異常な偏向ぶりを体験した後は、とても紹介する気にはならない内容です.。しかし当時のこの紹介文を読んだ方が、新しい「復元版」をご覧になると別人かと思われるかもしれないという気もしてきましたので、そのまま再録します。(なお、上記復元文では「蔵出しいっぽん」No6は合っていましたが、日付が間違っていました。05/7/22久本福子)

蔵出しいっぽん! 6 02/12/25

本日のお勧め本は寺井谷子さんの『街・物語』です。「写真と俳句のデスマッチ」との趣旨で、毎日新聞西部版に連載されていたものを本にしたもの。写真は読者から募集したものですが、写真と俳句の関係は、とうていそんな「偶然」の出会いとは思えぬほどのピッタリ度! 写真もスゴイですが、寺井さんの俳句には、全身をわしづかみにされるほどの力あり。これほどの奥行き、深さ、強度をもつ俳句にはめったにお目にかかれません。実は10月末頃に同書を発見し、ご紹介する機会を待っていました。文字どおりの掘り出しものです。

 

1994年刊 ISBN4-7512-0589-7 定価1500円+税



「葦の日誌」17号以降は旧「葦の日誌」本文17〜35号「葦の日誌」目次(リンク切れ))


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