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葦ブックス
 

葦の葉通信

 

15 2016/4/18

1 禁教期を焦点化したキリスト教関連遺産の狙い

2 日本語と朝鮮語

● 九国博の変化

● 熊本地震

 

142016/3/16

1遺体が語る真実

2サイバーセキュリティ

 

13号 2016/2/27

1北朝鮮の核実験と日本

2北朝鮮のミサイル

 

黄金のアフガニスタン展

12  2016/1/26

日韓合意の不可逆性

 

謹賀新年

11号 2015/12/26

年末の外相訪韓

 

10号 2015/11/30

1 イスラム教とカリフ

2 中韓の相似と相違

 

 9号 2015/10/24

1 ノーベル賞と世界大学ランキング

2 ユネスコの存在意義

3 朝貢外交の今昔

 

 8号 15/9/22

1 広開土王碑文

2 縄文土器と埴輪

3 タイ爆破事件の深層

4 安保法と憲法

 

7号 15/8/30
1 70年談話の意義
2 五輪エンブレム騒動
 
 追記 9/1
3 自衛隊肉弾盾作戦

6号 15/7/28

1 深まる韓尊日卑 
2 アジアは広い! 
3 ザハ案採用の謎
4 明治産業革命遺産

 

5号 15/6/15
1安保法案と日本の防衛
2 MARS韓国と従軍慰安婦

 

4 15/6/3
国防

1 構造改革とIT 
2 TRONと日本のIT教育
3 プログラミング教育
4 新安保法案
5 大阪都構想のペテン

 

3 15/4/16
沖縄と福島原発
1百済展と歴史の真相
2高麗は日本をモデルにした
3スタップ細胞捏造事件

2号 15/3/10
1政治とカネ 
2 移民と日本の戦争責任
3 戦場の真実と未来への提言

1号 15/2/5
歴史の纂奪
 ―百済から通信史

サイト移転のお知らせ
15/2/5

 

 

 

吉田調書の真実

原発事故と巨大地震の正体

 

 

 

 

 

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葦の葉通信15号 2016/4/18→4/27                       

 

久本福子 YOSHIKO HISAMOT

 

●新刊ご紹介 

 

漂泊する魂を描いて出色の作品!

 

 

 


川口順子著
四六判上製
209頁・1500円+税
ISBN978-4-7512-0867-0

 

 

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久々に新刊を出しましたので、これを機にホームページも一新しました。新刊も含めて、弊社の在庫本をご紹介する「葦ブックス」というページも新しく開設しました。SNSのロゴマークも貼りましたが、気に入ったデザインのロゴだけでは各SNSにはリンクは飛ばず、未通のままでお飾りのようになっておりますが、そのうち使えるようにする予定です。(4/27)

開通しました。カバー写真なども一新しました。ぜひご覧ください。(5/5)

 

 

 4月22日からは、日本書籍協会主催による半額セール「謝恩価格本フェア」も始まります。今回は当社も参加しております。詳細は以下の本文内の広告をご覧ください。

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 本号をほぼ書き上げた頃、熊本地震が襲いました。福岡市でも震度5の揺れがありましたが、熊本の被災地の惨状を見るにつけ、本号のテーマは場違いではないかとの思いにも襲われ、公開するのを躊躇しましたが、最後に「熊本地震」の項を加えると、さほど場違いではないとも思えてきました。ただ、非常に長い原稿になったことには我ながら戸惑っていますが、削除すべき個所も見当たりませず、そのまま公開することにしました。

 

 

1禁教期を焦点化したキリスト教関連遺産の狙い

 

 キリスト教関連遺産登録候補をめぐって、イコモスから禁教期に焦点を当てるべきだとのクレーム、助言がありましたが、政府や関係自治体は、その助言に従い、関連遺産群の構成はそのままにしつつも、申請内容を禁教期に焦点を当てたものに変更することに決定しました。禁教といえば、信徒への残虐非道な弾圧なしには語れません。キリスト教徒への弾圧は、通常の罪人への処罰よりもはるかに苛烈なものであったことは周知の事実です。

 

 

葦書房出品リスト

 

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 この残虐な弾圧にも耐え、様々な工夫を凝らしながら監視の目を逃れ、250年以上もの長きに渡って信仰を守り抜いた隠れキリシタンと呼ばれる信徒たちの存在は、世界中の人々に賛嘆の思いを呼び起こすであろうことは言うまでもないでしょう。しかし、キリスト教徒の弾圧という禁教期における日本とキリスト教との関係は、事実であるとはいえ、日本にとっては決して名誉なことではありません。世界遺産登録活動に関連してか、西日本新聞で2月から始まったカトリック長崎大司教区司祭の野下千年氏への聞き書きシリーズには、江戸幕府の命を受けて島原で実施された、禁教を迫る苛烈な処刑の様子が語られていますが、紹介をはばかれるほどのむごささです。

 しかし禁教に至る前には当然のことながら、キリスト教の受容、普及という、日本の歴史にとっては画期をもたらす大きな出来事がありました。日本にとっては初期のキリスト教の受容とは、先進的なヨーロッパ文明の受容と表裏一体のものとなっていました。1543年、種子島に漂着したポルトガル人によって、日本に初めて鉄砲がもたらされましたが、1549年には、イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが来日し、日本各地でキリスト教の布教活動を展開、キリシタン大名まで登場するに至りました。1582年(天正10年)には有馬晴信、大村純忠(すみただ)、大友義鎮(よししげ)の九州のキリシタン3大名が、ローマ教皇への使節として伊東マンショや中浦ジュリアンら少年4人を派遣しました。天正の遣欧使節と呼ばれた少年らは、9年後の1590年に帰国しましたが、天下統一を果たした秀吉によって禁教令が発せられ、キリスト教徒への弾圧が始まっていました。ちなみに少年らが派遣された1582年は、本能寺の変で信長が殺された年でもありました。当時の日本が大激動期にあったことが分かります。(参照:天正遣欧少年使節(日本外交史外伝)

 秀吉の死後、1600年の関ケ原の戦いで勝利して天下を取った家康も徐々に禁教策を強めていきますが、1613年(慶長18年)、仙台藩の伊達政宗はスペイン領のメキシコとの通商関係樹立をめざして、家康の許可を得た上で、宣教師ルイス・ソテロとともに家臣の支倉常長らをスペイン国王とローマ教皇のもとに派遣しました。彼らは慶長遣欧使団(関連遺産は世界文化遺産に登録)と呼ばれていますが、家康は前年1612年の天領でのキリスト教布教禁止に続き、使節派遣の1613年には、幕府成立後初の全国規模での本格的なキリスト教禁止令を発していますし、その翌年の1614年には大阪冬の陣が勃発。その翌1615年の大阪夏の陣では、豊臣家が滅亡するとともに、家康による幕府の統制が一気に強化されていきました。常長一行が目指していた貿易開始には、スペインはキリスト教の布教を条件にしておりましたので、その交渉は当然のことながら成功せず、常長ら使節団は1620年に帰国しますが、日本では、家康死後もさらにキリスト教禁教策が強化され、ついに鎖国令まで出されるに至りました。偶然の一致なのかどうか、天正使節派遣時と同様、慶長の遣欧使節派遣も、天下の覇権をめぐっての大激動の渦中のことでした。

 秀吉も江戸幕府も、キリスト教の背後にある世界の強国スペインやポルトガルに支配されることを恐れ、厳しい禁教策を敷いたのですが、ザビエルの来日を機に本格化したヨーロッパ人の渡来によってもたらされた先進文明の数々は、戦国大名のみならず庶民に至るまで日本中に大きな衝撃を与えました。その衝撃の大きさは、無数ともいえるほどの数々の絵画や工芸品としても残されています。信長、秀吉の安土・桃山時代に隆盛した南蛮文化(南方から来るポルトガル人=西洋人がもたらした文化=西洋文化)と呼ばれるものですが、その一部がWEB南蛮文化(このリンクがすぐに切られてしまいます!!)として紹介されています。非常に数多くの南蛮関連の絵画や工芸品が作られたことからも、当時の人々が南蛮文化から受けた影響の大きさが伝わってきます。

 これらの画像の中には含まれていないようですが、南蛮人が日本人に交じって、野外で演じられている歌舞伎を見物している絵画には、南蛮ファッションを取り入れた若者が何人も描かれています。着物の衿口から南蛮ファッションのヒダヒダ衿を付けた若者や、南蛮のパイプを真似て作られたというキセルを使って煙草を吸う若者や、これまた南蛮由来の袖なしの上着を着た若者たちが描かれています。流行に敏感、新奇な物に飛びつくという若者の特性は、南蛮文化隆盛のこの時代でももいかんなく発揮されていたわけですが、江戸幕府の統制が始まる前であったとはいえ、南蛮文化が信長や秀吉などの支配層のみならず、庶民にまで浸透していたことを物語っています。

 種子島に伝わった鉄砲もすぐさま日本で国産化され、あっという間に世界最大の鉄砲(火縄銃)生産国になっていますし、政宗が200名もの慶長遣欧使節団を派遣する際も、スペインでは門外不出とされた世界最先端の技術を駆使した船が仙台藩で建造されたのですが、仙台藩の船大工が作ったという。天正遣欧使節団も活版印刷機を持ち帰り、日本初の活版印刷による聖書やイソップ物語などが印刷されています。その他にも、スペイン、ポルトガルからは医学、天文学など世界の最先端の科学技術がもたらされています。それまで中国文化の移入一辺倒であった日本が初めて西洋に出会ったのが室町時代の1500年代半ば頃のことですが、その衝撃は初めて世界を知ったというに等しいほどのものであったと思われます。

 江戸幕府が、鎖国下にあっても長崎の出島に限定していたとはいえ、オランダ(キリスト教の布教はしないと約束)と中国には日本への来航を許可したのは、海外交易を幕府が独占的に管理するという実利の確保に加え、先進大国からの文明、文物の移入、確保を死活的に重要であると幕府が考えていたからだと思われます。先進大国の植民地にならずに、その進んだ文明や文物だけは絶えることなく摂取したいという江戸幕府の知恵が、鎖国と出島に象徴されていると思われます。

 以来日本は長い鎖国の時代を経ることになりますが、衝撃的に伝えられた南蛮文化の影響は大きく、南蛮由来の言葉が日本語として定着したものが今なお数多く残されていることからも、その影響の大きさが分かります。その代表例を以下に列記してみます。

<ポルトガル語由来の言葉>

パン、ブランコ、ビスケット、ボタン、カボチャ(カンボジア原産の瓜科野菜をポルトガル人が持ち込んだ)、カッパ(合羽の漢字は当て字)、カルタ、カステラ、コンペイトウ(金平糖の漢字は当て字)、コップ、ジョウロ、ミイラ、おんぶ、しゃぼん玉、てんぷら、襦袢(じゅばん)、フラスコ、ビロード、ボーロ、ビードロ(ガラス)、メリヤス(靴下から意味が転じ、靴下様の編み方をした布及びその製品を指す。スペイン語にも似た語があるという。)

<オランダ語由来の言葉>

ピント、ホース、ポンプ、ポン酢、ランドセル、コンパス、アルカリ、コーヒー、ガラス、ゴム、ペンキ、ピストル、ドンタク(博多の春の祭りの語源でもある)、ドル、タラップ、ソーダ、ズック、シロップ、ジャガタラ、サーベル、カンフル、カラン(蛇口)、カラメル、カルキ、等多数あり。

 ガラスをビードロというのは余り一般的ではなく、北原白秋の詩ぐらいしか使用例は思い浮かびませんが、それ以外ではいずれの言葉も特殊な用語ではなく、ごく一般的に使われる言葉ばかりです。他にも医学系の専門的な用語も多数ありますが、日常的に使われる言葉も多数含まれています。これらの言葉はその言葉が指す物といっしょに日本にもたらされたものだと思われますが、外来語が、多少の語の変化はあれ、ほぼそのまま使われたということは、それらの物はそれまで日本にはなかったものばかりであった思われます。江戸の鎖国以前には、こうした文物は宣教師によってもたらされ、鎖国後はオランダを介してもたらされました。今では完全に日本語化している感のあるこれらの語を見ていると、南蛮文化が日本に与えた影響の大きさには改めて思いを至さざるをえません。

 また室町末期には南蛮医術も日本に伝えられました。「日本で最初の銃創治療の記録として1562年博多において、ポルトガルの外科医師免許を持つルイス・デ・アルメイダの指示を受けた日本人医師によって、弾丸の摘出手術が行われ、僅か15日で全治せしめたという。」(服部敏良『室町安土桃山時代医学史の研究』p.377)江戸の鎖国後は、オランダ医学が伝えられ、多くの日本人医師たちがオランダ医学を学んだことは周知のとおりです。黒田藩も優秀な人材を長崎に留学させ、オランダ医学を学ばせています。

 以上のように、室町時代後期、16世紀半ばから後期にかけて、キリスト教宣教師を介して初めて日本に伝えられた南蛮文化=西洋文化は、日本の文化、学問、技術に多大な影響を与え、江戸時代の鎖国下においにはてさえ、オランダを介して西洋の文物を移入する体制の構築を、幕府に促すほどの先進性をもっていました。つまり日本にとってキリスト教の受容とは西洋文明との出会い、受容にほかならず、その影響は、明治維新後の近代化にまで及ぶものであったといっても過言ではなないはずです。

 非ヨーロッパ国で、植民地にならずにキリスト教を受容し、その影響を受けた南蛮文化が華々しく開花したのは日本だけではないかと思われます。こうした日本特有のキリスト教受容史を見るならば、禁教期にのみ焦点を置いた世界遺産登録がいかに偏波なものであるかは多言は無用です。受容史を切り捨てて禁教にのみ焦点を当てるのは、受容史をもたない禁教史のみという結果になり、歴史としての整合性を欠くだけではなく、日本の残虐性を際立たせる効果すら発揮します。ひょっとしてイコモスはその効果を狙っているのではないかとさえ思われます。

 ユネスコは、韓国の歴史を捏造した数々の歴史的文化遺産はノークレームで全て登録を許可しています。委員たちが東洋史には余り明るくなく、韓国側の主張をそのまま信じたが、一方キリスト教などの西洋関連には造詣も深く、結果的に審査も厳しくならざるをえないということであれば、そもそも世界文化遺産制度は即刻廃止すべきです。昨今のユネスコ世界文化遺産制度は、政治的に利用される傾向の強いことはすでに知られた事実ですが、今回の日本のキリスト教関連遺産の背後にも政治的な思惑が潜んでいるのではないか。

 かつて日本ではキリスト教徒が厳しく弾圧されたという事実が世界に広く知られるならば、中国政府が行っているキリスト教徒弾圧への批判もやわらぐのではないか。また、日本にキリスト教を伝えたのは韓国人信徒であるという、韓国による恐るべき捏造話を世界に広めるためには、ポルトガルやスペインの宣教師によって日本に初めてキリスト教が伝えられたというキリスト教受容史の削除、隠蔽は至上命題です。日本に初めてキリスト教を伝えたのは韓国人であるというトンデモ説は誰も信じないと思われるほど、どこにもひとかけらの証拠も存在しない無茶苦茶な捏造話ですが、日本のカトリック教会は大司教自らが正式にこの説を信じ受容しています。数年前にこの事実を知り、びっくり仰天して、当サイトで批判をしましたので、多少はこの説に疑問を感じる信徒も出てきたかもしれませんが、韓国人は同様の捏造話を世界のカトリック関係者のみならず世界中に広めていることは間違いないはずです。日本の大司教がこのトンデモ説を信じているということは、世界的規模でこの説が信じられている可能性は非常に高い。世界的にはまだ十分には浸透していないとしても、韓国は日本をテコにこの捏造話を世界に広める算段をつづけているはずです。その最終目標は、韓国人によるバチカン制覇です。国連でもWHOなどの下部機関への浸透からついに事務総長の座を射止めましたので、韓国人によるバチカン制覇も夢ではないはずです。

 韓国ではキリスト教徒の数こそは多いものの、キリスト教受容の歴史は戦後に始まったもので非常に浅い。韓国人ジャーナリストの池東旭著『韓国の族閥・軍閥・財閥』(中公新書)によると、戦後、米軍が朝鮮半島に進駐した後、キリスト教の慈善団体も韓国に入り、慈善活動を開始しましたが、教会関係者は、食料などを配る際、入信するなら食料を提供するという交換条件を示したという。その結果、当然のことながら、キリスト教に入信する韓国人が殺到し、韓国でのキリスト教信徒が爆発的に増えたという。慈善事業でそこまでやるかとの思いも禁じえませんが、19世紀末、李朝末期にやっと可能になった韓国での布教を始めたキリスト教の活動を目の当たりにしたイザベラ・バードが、朝鮮人は損得の利害だけで動く民族であり、信仰心は乏しい。さらには朝鮮は儒教国でありながら、上から下まで論語の教えとは全く無縁だとまで記していることからすると、韓国での信者獲得のための非常手段として、教会関係者が交換条件を出したのも理解できなくはない。

 しかし韓国人はこの屈辱的な事実は決して認めようとはしません。そこで考え出されたのが、お得意の日本パラサイト戦術です。日本とは異なり、韓国には戦後の屈辱的な入信契機以前には、韓国人がキリスト教を受容したり、深く帰依したことを証明する建造物や文物は皆無だからです。残されているのは、布教を試みた宣教師を、四肢バラバラ切断による残虐処刑をした記録のみです。しかし弾圧非道を喧伝されるのは日本のみ。

 さらにこの上、秀吉もキリスト教徒を弾圧したことが世界に広まれば、秀吉に2度(1592年、1597年)も侵略され、韓国人(朝鮮人)が多数虐殺されたと主張し続ける韓国の日本非難の信憑性が高まりますし、日本人の残虐性が16世紀末にまで遡って強化されることになります。韓国や中国も含め、古今東西、世界は数限りなく戦争を繰り返しながらその歴史を作ってきたわけですが、韓国と中国は古代から現代に至るまでの、彼ら自らが国内外で繰り返してきた自らの残虐性は棚にあげたまま、捏造歴史を振りまきながら日本非難のみを延々と繰り返しています。その不当さについてはここではこれ以上は書きませんが、ユネスコの世界文化遺産制度を利用した、それとは分からぬ形でなされる陰湿な日本非難、日本攻略については座視するわけにはいきません。

 なお、長崎市はイコモスから修正を求められて、申請をやり直すに際して、そのための予算を新たに計上していますが、1億5、6000万円余り、イコモスの委員への顧問料として1000万円も含まれています。この予算は、申請やり直しのための金額ですので、関連予算の総額ははるかに大きくなるのは言うまでもありません。加えて、長崎県や関連遺産をかかえる県下の他の市町村も、長崎市よりは額は少ないとはいえ、登録のための予算を計上しています。毎年、日本中で同様の活動が展開されていますので、日本中の自治体では世界遺産登録のためにかなりの額の税金が投入されているはずですが、それらを総合するといったいいくらぐらいになるのか、気になります。仮に遺産に登録されても注目され、観光客が訪れるのは当座だけではないか。調査や書類作成や施設整備のために投じた税金が回収できるほどの経済効果のある世界遺産は、果たしていくらあるのでしょうか。

 昨今の世界文化遺産登録活動は、観光客増加を狙った町おこし、村おこしとして行われていますので、たとえ対象が歴史的遺産であっても、登録されるなら歴史的事実はどうでもいいという傾向すら露骨になっています。

 国内の登録に認定された宗像大社と沖ノ島関連遺産群をめぐっても、これらの遺産は韓国人が作ったという趣旨の漫画が宗像市から発行されていることを知り、びっくり仰天しています。現物は未だ見ておらず、この漫画を基にしてNHK福岡放送局が作ったというラジオドラマで知ったのですが、こういう主張を証明する記録は韓国にはもとより、日本にも存在しません。この主張の根拠となりうるものといえば、新羅製だといわれる金製馬具が沖ノ島で発見されたということぐらいです。様々な物を神に捧げて海路の安全や戦勝などを祈り、無事帰国した折には感謝の祈りを捧げたであろうことは間違いないと思われますが、祈ったのは日本人(倭人)であり、百済や新羅の人々ではありません。

 もし仮に百済人や新羅人が日本の神道の開祖であるというのであれば、本家である韓国にも日本の神道に似た信仰の形が存在するはずですが、朝鮮半島のいずこにもそうした信仰は存在しませんし、その痕跡すら存在しません。形ある建物や文物としては残っていないだけではなく、神道の精神そのものが朝鮮半島には皆無です。律令体制が確立する以前から今日まで、日本の天皇にとっては大嘗祭や新嘗祭は重要な祭祀であり続けたという事実は、日本の神道の核心を象徴しています。現代ではこれらの天皇の祭祀は文字通り象徴的な意味合いが強いとはいえ、自然の恵みの豊かならんことを祈り、その恵みに深く感謝するというものではないかと思います。これこそが民の暮らしに安寧をもたらす最重要の課題だからです。

 しかしこの自然の恵みを祈り、その恵みに感謝するという神道の精神は天皇にのみ体現されているだけではなく、庶民にまであまねく浸透しています。日本各地の無数の祭りは、神々への祈りであり、感謝の思いを神に捧げたものであることは改めて言うまでもないでしょう。神々に祈りを捧げる自然の恵みとは、森羅万象あらゆるものに及びます。日本各地で行われている数え切れないほどの祭りの形態は、それぞれに異なった姿をなし、驚くほどに多彩であるのも、その融通無碍ともいえる日本人の自然観の表れではないかと思われます。

 一方韓国では、日本では古来より続けられてきたような自然の恵みに感謝するという祭りや行事は存在しません。つまり韓国人には日本の神道的な心性そのものが存在していないということです。言い換えるならば、韓国には日本の神道的な建物や文物が皆無であるだけではなく、神道的な心性という無形の遺産すら存在しておらず、存在したことすらありません。にもかかわらず、その韓国人(朝鮮人)がなぜ日本の神道の開祖だと主張しえるのか。捏造にしても余りにもひどすぎる捏造です。しかし嘆かわしいのは、この余りにもひどすぎる捏造を宗像市自らが認めていることですが、実は、九大をはじめとした有名大学の教授たちが韓国の露骨なホラ話に反論もせずに喜々として共犯役を務めていることです。専門家がこぞって韓国のホラ話を無抵抗に受け入れるどころか、吹聴さえしていますので、宗像市がその説を宣伝したとしても市だけを批判するわけにはいきません。

 世界遺産登録に関与する学者たちの対応は、学問的には退廃の極みにあるというべきでしょうが、予算が減らされ、成果主義が導入された中で、巨額の資金が動く遺産登録事業に関与すると、登録のためなら学問的な真理は3の次、4の次、ついにはどうでもいいという気分になるのではなかろうか。少なくとも韓国が絡むと、著名な歴史学者も退廃の極みにまっしぐら。あるいは彼ら著名学者はもともと韓流的退廃に同期していたのでしょうか。世界遺産登録に成功すれば、学者としての業績が高く評価されるという学問破壊体制、金儲け至上主義を奨励する日本の文部行政の結果でもあるわけですが、韓国と組めば(韓国の意向を汲めば)登録の可能性がぐんと高まるとの浅はかな判断が、日本を貶める結果になることになぜ思いが至らないのでしょうか。

 なお当社には、沖ノ島の発掘調査を記録した古い資料がいくつか保管されています。専門的な資料なので、素人には理解のできないものも含まれていますが、今、福岡でこの資料を誰か専門家に提供しても、韓流説を否定するような資料が含まれていたならば、即廃棄されそうなので、十分には読めない素人の私が保管しています。ところで、新羅製馬具は、沖ノ島のどこで、何時、発見されたのでしょうか。

 目下、日韓両国(日本についてはごく一部、日本を代表している人々ではありませんが、博多では一部の人々によってこの運動が熱烈に進められています。)が共同で推進している朝鮮通信使は、中世から近世にかけての日本の歴史を振り返るならば、日本にとっては沸き立って進める類の遺産ではないことは明白です。朝鮮通信使が先進文化を日本に伝えたという、韓国の歴史教科書に書かれている大ホラ話を日本が認め、このホラ話を世界に喧伝することを支持し、手を貸す結果にしかなりません。朝鮮通信使については葦の葉通信1号をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2日本語と朝鮮語

 

 韓国(朝鮮)が日本の文化を作ったという彼らの主張が事実であるならば、朝鮮語由来の日本語が多数存在するはずですが、そうした類の語を目にしたことはありません。ネットで検索しても出てきません。どんな言葉があるのか、どなたか教えていただきたい。外国語とはいえ、日本語の一部と化している中国語(漢語、漢字)についてはその影響の大きさについては改めていうまでもありませんが、今なお使われているポルトガル語やスペイン語由来の言葉と比べてみても、朝鮮語の影は非常に薄く、ほとんどゼロに近いのではないか。

 ある言語の他言語への影響力は、その言語の背後にある文化力と密接に関連しているはずです。古代においては、百済や新羅から、今でいう難民や移民として多数日本に渡来してきたことは周知の事実ですが、韓国人が主張するように彼ら渡来人が当時の日本の政治、文化に多大な影響を与え、その中枢を担っていたというのであれば、日本語に現在の韓国語の祖となった朝鮮語(百済語も新羅後の存在は物的には証明されていませんが)が、数多く日本語に取り込まれているはずですが、その例を見つけるのが困難なほどに影が薄い。朝鮮半島から日本に渡来してきた多数の難民や移民の皆さんは、渡来後、当時の日本政府(朝廷)から移住許可を得て土地を分けてもらい、日本で暮らしていたわけですが、にもかかわらず、彼らの母語たる朝鮮語は全く日本語には影響を与えていません。これは何を意味するのでしょうか。彼ら渡来人は、その母語たる朝鮮語を日本語に残すほどに重要なもの、新奇なもの、日本にはない高度な芸術や技術や文物は何ももたらさなかったということに外なりません。百済から医学、暦博士,採薬師などが送られ、中国伝来の新知識が日本に伝えられたことは「日本書紀」にも記録されており、事実のようですが、にもかかわらず、朝鮮語の痕跡は日本語には皆無。エリート知識人たる朝鮮からの渡来人は中国語(漢語・漢文)を使っていたと思われますが、彼らは母語で表現しうる物は何一つもっておらず、単に中国由来の文明、文化の産物をもたらす橋渡し役にすぎなかったということになりますが、その可能性すらきわめて少ない。

 日本語と韓国語は語順は似ているそうですが、母音で成り立っている日本語と無数に近い子音をもつ韓国語とでは、その音の響きの違いの大きさは、聞けば瞬時に分かります。

 ヤーコブソン(ヤコブソン)という世界的に著名なロシア系アメリカ人の言語学者(ロシア出身ですが、ナチスの迫害を逃れ、1941年に米国に亡命し、ハーバード大学の教授などを務めた言語学者)の音韻論は、世界的に著名なフランスの人類学者レヴィー=スロースに多大な影響を与え、その言語思想は構造主義思想にも大きな影響を与えたことでも知られていますが、彼は異民族間の往来、接触が頻繁なユーラシア大陸で、異なった言語間の影響関係を調査しています。それによると、語族(それぞれの言語の祖型、祖先)が異なった言語間でも、日常的に接触が繰り返されると、それぞれの言語の基本形は変わらぬものの、音韻は接触する他言語から影響を受けて、変化が生じていることが確認されたという。

 海に囲まれた日本は、古来より他言語との日常的な接触はほとんどありませんでしたが、地理的には最も近い朝鮮半島との往来は古来よりありました。しかしその関係が、韓国が主張するように圧倒的に進んだ朝鮮の文化を日本に移入するという関係にあったのであれば、朝鮮語が日本語の中に残されているはずですが、すでに指摘したようにその痕跡すらありません。のみならず、全く異なる音韻構造をもつ朝鮮語が日本語の音韻に影響を与えたという痕跡すらありません。これは日本に渡来した朝鮮人(百済人や新羅人)が一方的に日本語を受け入れた(習得した)結果を表しています。それ以外の理由はありえません。

 日本語に与えた中国語の影響の大きさは改めて言うまでもありませんが、日本語には漢字を和語として読んだ訓読みとは別に、中国音を基にした音読みでは複数の音読みが残されているように、中国語の影響は音韻的にも非常に大きいことが分かります。しかし何度も言いますが、朝鮮語の痕跡は皆無です。

 渡来人のうちの知識層が仮に中国語(漢文・漢語)を使っていたとしても、当時の日本には、中国語が堪能な人材はそう多くはなかったことは、「日本書紀」にも書かれている通りです。「筆談文化圏」という新規の概念が登場しているようですが、漢字圏では、一時しのぎで漢字を使った筆談も可能であったかもしれませんが、紙や硯や筆が日常ふんだんに使える環境にはなかった当時では、それも現実的ではありませんし、そもそも簡単なことしか伝えることのできない筆談は、日常的な生活場面では有効性をもちえないことは、何でも簡単に手に入る現在を考えてみても明白です。

 外国人にとっては、生活する国や地域の言語を習得する以外には生活できないことは古代も現在も同じです。その際、外国語の方が優位(先進文明を体現)であれば、外国語が日本語に新たに加わるか、日本語にとって変わることになります。中国語(漢語)、ポルトガル語、スペイン語、英語等の、古代から現在に至る日本語への外国語の影響力を見れば、一目瞭然です。しかし残念ながら、朝鮮語の痕跡は日本語のどこを探しても見つかりません。語としてはもとより、音韻としてすら朝鮮語は日本語には全く影響を与えていません。

 平安時代に発達した仮名文字によって、日本語の音韻構造は明確化されましたが、現在の日本語の音韻構造と全く同じです。仮名文字の源流は奈良時代(770年)に編纂された「万葉集」で使われていた万葉仮名にありますが、万葉仮名は中国で発明された、漢字を表音文字的に使う表記法に習ったものだという。中国では、古代の大昔から、外国語をそのまま表記するときは、漢字の意味を無視して漢字を表音文字的に使って記したという。表音文字を持たない中国では、現在もこの表記法が使われています。

 一方朝鮮語の音韻構造を記した文献、文物は、李氏朝鮮下の1443年にハングルが考案されるまでは皆無、ハングルの考案によって初めて、朝鮮語の言語構造や音韻が明らかになったという。(参照:邪馬台国の会・安本義典著「日本語の起源」)15世紀半ば頃になって初めて、朝鮮語の言語構造や音韻構造が明らかになったわけですが、現在の韓国語(朝鮮語)と同じであるのはもとより、おそらく古代朝鮮語も基本的には同じであったと思われます。つまり、日本語と朝鮮語の違いの大きさは古今変わっていないということです。にもかかわらず、語としてはもとより、音韻的にも朝鮮語の痕跡は日本語には皆無です。この事実を無視して、日本と韓国の関係を論ずべきではありません。

 そもそも韓国には、古代の文字資料は皆無です。韓国には高麗時代(936~1392年)に作成された「三国史記」、ついで1277年に作成された「三国遺事」が最古の書物であり、この2書以前に書かれた書物や文字資料は皆無です。高麗は936年に新羅を滅ぼし、朝鮮を統一しますが、以来、最初の史書「三国史記」が書かれるまで、209年もかかっています。当時の朝鮮には、書物を著すほどの漢文・中国語(朝鮮語の文字はない)の能力をもった人材がいなかったとしか考えられません。1010年に高麗版大蔵経が作られますが、これは中国の北宋朝の蜀で作られた(971~977年)蜀版大蔵経の復刻版で、蜀版大蔵経は、北宋の皇帝より、西夏、高麗、日本など近隣諸国に下賜されたものだという。(「経典.jp大蔵経・・・高麗版大蔵経への大礼賛文が氾濫しているWEB上では比較的冷静な解説。)高麗版の初版は元の侵攻により焼失したそうですが、1236年に再度復刻版を作ったという。高麗は、大蔵経の版木を彫るという大事業を成功させましたが、困難な作業だとは思われるものの、お手本に忠実に版木を彫ることはできても、自ら文を草し、書物を著すという能力もその欲求も乏しかったのではないか。仏教書の類も皆無だということは、大蔵経の印刷まではしたが、その大蔵経を読みこみ、高麗人としての解釈を施すというレベルにまでは達していなかったと思われます。日本では大蔵経を読み込んで書かれた仏教書は数多く存在します。

 仏教立国をめざした高麗では、蜀版大蔵経の復刻に国の威信をかけて取り組んだものの、最初の叛木は元の侵攻で失い、そしてついに元の支配下に置かれてしまいました。しかし、朝鮮で書物が継続して作成されるようになったのは、元の属国になって(1259年)以降のことです。モンゴルの元は、仏教文化が栄えていた南宋を滅ぼし中国を統一しますが、元朝はチベット仏教を保護して国教としたことから、在来の中国仏教の僧が多数朝鮮半島に移ったといわれています。僧は当時にあっては、最高の知識人です。中国からの僧(知識層)の大量渡来が、高麗の仏教文化にも大きな影響を与えたであろうことは確かだろうと思われます。素人考えですが、わたしは高麗仏教は、仏教を国教化した聖徳太子治世下で始まる飛鳥、そして奈良、平安時代へとつづく日本の繁栄を目のあたりにして、高麗王朝も日本を真似て仏教立国を目指したものではないかと考えています。葦の葉通信3号沖縄と原発事故1百済展と歴史の真相2高麗は日本をモデルにした3スタップ細胞捏造事件に持論を書いています。

 日本を代表する国立大学の東大、京大、九大には韓国研究所があります。文科省の強制的指導で、国公立大学では国文学や日本史、東洋史などの学科、学部が廃止された中で、なぜ韓国に特化した研究所が新設されたのか。基本は海外との提携がなければ大学に予算が回されないという文部行政が背景にありますが、直接的には民主党の野田政権が、韓国との交流事業に特化して九大に4000万円もの予算をつけたことが、この流れを加速しました。私立の早稲田大学に韓国研究所が新設されたのは、この後のことですし、東大もその後のことです。他の国立大学にもあるかもしれませんが、今のところ把握しているのは以上の4大学です。以前、この問題を取り上げた際、グローバル化促進策が韓国偏重路線を生み出したと書き、野田政権時の4000万円韓国奨励金のことは忘れておりましたが、韓国偏重促進策としては、この4000万円の果たした役割は決定的であったと言わざるをえません。

 韓国は古い時代の文献は皆無の上に、文献が出始める14世紀、15世紀以降でも、朱子学以外の学術書や文学的資料は皆無に近い。絵画、書、工芸品などの作品もきわめて乏しい。にもかかわらず、なぜわざわざ日本の国税を投入して韓国に特化した研究をしなければならないのか。

 その成果が、先日、福岡で披露されました。3月初めに、アクロス福岡で「韓国ドラマからみる高麗・朝鮮王朝」という市民講座が開催されました。わたしは西日本新聞の文化欄に掲載されていたお知らせを見ただけですが、それによると講座の目的は、「朝鮮史の第一線の研究者たちが韓国ドラマや映画を取り上げながら、歴史を再考する。」とのこと。その第一線の研究者とは、森平雅彦九州大学大学院教授、六反田豊東京大学大学院教授です。おそらく両教授は、「韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界――朝鮮史の真実」と明確に断定されている東京外大非常勤講師の宮脇淳子氏とは、真逆の話を披露されたものと思われます。宮脇氏によると、ドラマが歴史の実相と異なるのは一般的だともいえるが、韓流ドラマはそんなレベルではなく、完全に空想の産物だとのこと。森平、六反田両氏は、この指摘になんと答えるのでしょうか。

 しかし朝鮮史の真相を遠慮なく公言するような宮脇氏をはじめ、『日韓・歴史克服への道』(展転社刊)の著者下條正男拓殖大教授や、非韓3原則の提唱者である古田博司筑波大教授などは、公的な場で発言する機会も、活躍する場も与えられません。これほど不可解で不当なことがあるでしょうか。日本の大学の朝鮮史の専門家であるならば、市民向け講座だからこそ、韓国が国を挙げて隠蔽し、日本のマスコミが報道しない朝鮮史の真の姿をこそ伝える義務があるのではないでしょうか。

 大学絡みで付け加えると、目下、大問題になっている奨学金の返済不能に苦しむ若者たちを生み出したのも、民主党政権です。日本の奨学金はEUとは異なり、返済の義務がありますが、この返済義務を強化したのは民主党政権です。高い利子をつけた上に、滞納すれば裁判に訴え、それでも返済しなければブラックリストに載せ、クレジットカードも作れなければ、賃貸契約もできないという、一般の借り入れ返済並みに条件を強化しました。わたしは民主党政権が、高校無償化を導入する一方、それとは真逆ともいえる、日本の若者の前途と生活を破壊する政策をひそかに実施していたことに驚愕し、このサイトで批判しましたので覚えているのですが、先般、国会でこの問題が審議された際、不思議なことに民主党議員はもとより、自民党議員までもがこの事実に言及していませんでした。民主党議員は閣僚経験者の一部しか知らないのか、わざととぼけているのかは分かりませんが、この問題で自民党を批判するばかり。一方自民党議員も知らないらしく、奨学金の返済滞納問題をめぐって元民主党の民進党議員から批判を受けると、安倍政権ではかなり緩和したと弁明するばかり。元民主党の影の顔を象徴するこの事実は、マスコミではほとんど報道されていませんが、事実です。安倍政権下では、奨学生には過酷なこれらの条件が、かなり緩和されたのも事実です。

 

 

 

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九国博の変化

 

 九州国立博物館(九国博)では、太宰府天満宮から敷地の無料提供を受けていながら、天満宮隠しの動きが露骨であることを葦の葉通信3号に書きましたが、その後間もなく道路標識は、天満宮の大きな鳥居入りに大変身しましたが、九国博ではほとんど変化はなし。博物館から天満宮に下りる唯一の出入り口近くに天満宮方面を示す→入りの標識が一本設置されたものの、天満宮に下りる人々にとっては無用の長物で、何もないよりはましという程度の変化しかありませんでした。

 ところが、今年の新年早々に始まった「黄金のアフガニスタン展」の開催時期に合わせて開かれていた、アジアの交流展示会場に、開館十周年を記念してと銘打たれた、太宰府天満宮に感謝する特別展示室が設けられていました。入口には、天満宮が博物館誘致に尽力されたことや、天満宮の敷地を無料で提供されたことへの、心のこもった感謝の言葉を記した大きな幕が張られており、中には、天満宮ゆかりの宝物が展示されていました。開館十周年を記念して、あらためて天満宮に感謝を表することも記されていましたが、九国博は平成17年10月開館でしたので、十周年記念行事は昨年初頭から様々な行事として華々しく始まっていましたので、本来ならば、そのトップ行事の一つとして実施されてしかるべきだったと思われますが、おそらく、わたしが指摘するまでは、天満宮に感謝することなど九国博関係者は誰も考えなかったのだろうと思われます。遅きに失したとはいえ、九国博が、恩深き太宰府天満宮に感謝する特別展を開かれたことは、非常に喜ばしいことであり、ここに皆様にご報告いたします。

 もう一つ特筆すべき変化がありました。昨年新年早々に開催の「百済展」(開館十周年記念トップの展覧会!!)では、朝鮮式山城である大野城関連の遺物がたくさん展示されていたのですが、その中に、世界初だとの解説つきで木樋が展示されていました。巨大な木をくりぬいて作った導水路(現在ならコンクリート製が一般的)ですが、解説では大野城の付属施設とされていたので、木樋も百済人が作ったことになっていました。日本書紀には、665年に唐・新羅の侵攻に備えて、百済滅亡後日本に亡命してきた百済人に大野城の築城を命じたとありますので、大野城の付属施設ならば、世界初だという木樋も百済人作となっていても誰も疑問には思いません。

 ところが、今年開催のアフガニスタン展の出口近くに、大野城の前年に築かれたと日本書紀にも記されている、水城の大きな模型が展示されていました。なんと、新しい巨大な木をくりぬいた木樋がバーンと目に飛び込んできました。わざわざ新しい木を使って作成されたことが一目で分かる、ぴかぴかの新・木樋が展示されていたのです。木樋がどのように使われていたかが一目分かる展示でした。

 百済展では大野城の木樋として展示されていましたので、大野城に濠でもあったのかと思いましたが、そういう話は聞いたこともなく、どんな風に使われていたのか不明のままでしたが、木樋は平地に築かれた水城で使われていたということであれば、その用途は明確です。水城とは文字通り水の城、水を利用した防壁、城砦を意味していたことにも実感的に気づかされました。

 水城は百済人が日本に亡命してくる前年に築かれたことが日本書紀に書かれていますが、木樋そのものは、関西地方ではそれよりはるか昔の、3世紀から4世紀の遺跡から多数発見されているという。朝鮮半島には木樋も水城もありません。百済展示には何重ものウソが仕組まれていたのでした。

上記では会場の出口に、新品の水城の木樋模型が展示されていたとかきましたが、、5/22に九国博に行った際、再度よく見ると、新品の模型ではなく、江戸時代に発掘されたという本物でした。昨年の百済展に展示されていたのは、黒ずんだいかにも時代の古さを感じさせるものですが、この木樋はきれいに磨かれているような感じさえするもので、百済展展示品と同時代のものとは思えない印象です。前回は、思いがけないモノに出口で出会ったので、瞬間的な印象で新品だと勘違いしたようです。お詫びして訂正いたします。5/22)

 韓国が絡むと、学術的領分でも堂々と大嘘がまかりとおります。新体制下の九国博では、このゆがんだ路線を早急に正していただきたいと念じていますが、元寇に関しては、今なお、元軍(モンゴル人)だけが攻めてきたという、高麗(韓国・朝鮮)隠しが継続しています。高麗隠しは、蒙古襲来絵詞の模写版を使ってなされています。事実を明らかにすると韓国人が怒るのであれば怒らせておけばいいではありませんか。

 なお朝鮮式山城とは、本家朝鮮半島では人間の手は加えられておらず、自然の山をほぼそのまま使ったものであり、朝鮮式山城とは、ありていにいえばただの山です。大野城の場合も基本はただの山をほぼそのまま使っていますが、城壁である山肌を強化するためか、一部に石組の壁が築かれているところに特徴があるらしい。石組の利水施設の跡が残されている山城もあるようですが、これらの石を使った構築物は日本固有のものであり、朝鮮半島にはありません。日本には神籠石(こうごいし)と呼ばれる石組みの山城や道路や水路などの遺跡が多数残されていますが、神籠石の技術が大野城にも取り入れられたのは明白です。

 神籠石を集めたサイトをご覧いただくと分かりますように、神籠石で築かれた構築物は堅牢な上に非常に美しい。日本にある朝鮮式山城には、大野城以外にも神籠石の技が使われていますが、本家朝鮮の山城にはこの神籠石の技術はありません。にもかかわらず、日本の山城にも朝鮮式山城と命名されているがゆえに、この高度な神籠石の技術も百済人がもたらしたかのような誤解が流布しています。ただの山をほぼそのまま使った朝鮮式山城と、高度な神籠石の技術を施した日本の山城とは全く別種であることを、まずは専門家がはっきりと指摘すべきではありませんか。

 

 

 

 

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熊本地震

 

 今度は熊本が巨大地震に襲われました。4月14日夜にはM6.5,16日未明にはM7.3、以降もM5~M6前後の地震が多発し、その震源は大分にまで及んでいます。福岡市でも震度5の揺れが襲い、棚から物が落ちてきました。なぜ狭い日本列島を次々と巨大地震が襲うのか。この根本疑問が改めて湧きあがってきますが、今回の熊本地震そのものにも大疑問を感じざるをえません。今回地震に襲われた熊本県下一帯及び大分県の地震被害地は、2012年7月に超豪雨に襲われ、長い間復旧工事が続いていた地域とほぼ重なっています。昨今の超豪雨は、まるで津波並みの被害をもたらすほどに超異常なものですが、熊本、大分を襲った2012年の超異常豪雨もまさに津波のような、あるいは津波以上の被害をもたらしました。

 当時、このサイトでもご紹介しましたが、JR豊肥線の線路、鋼鉄で作られた固くて重い線路が、超豪雨に襲われ、ネジ式時計に使われているバネのように、隙間なく稠密にくるくると完璧に巻き込まれてしまっていました。直線部分が残っておらず、一本の線路が全て巻き込まれてしまっていましたが、これほどの状態になるには、線路にどれほどの力が加えられたのかは素人には分かりませんが、想像を絶する事態です。これほどの破壊力をもつ超豪雨が、今回の地震被害地を3年9カ月前に襲っていました。その被害は台風以上のものであったことは言うまでもありません。

 湯布院に至るJR豊肥線は復旧作業を進めた結果、予定より早く、昨年、開通を果たしたばかりですが、今回の地震で再び不通となっています。他にも在来線の寸断箇所は多数あり、新幹線も脱線。JR九州の被害も甚大です。(新幹線の脱線原因は、初期微動を感知すると停止するシステムになっていたが、今回の地震では初期微動なしに即、巨大な揺れに襲われたので、このシステムが作動する暇もなく脱線したという。今回の地震が、地震学の基本原理すら逸脱した、いかに異常な地震であったかがここでも証明されています。この種の地震は他にも例があるそうですが、P波なしに即巨大地震が発生するという人工地震の存在を前提に考えなければ、国土の安全と日常生活の安全を守ることは不可能です。物理的に脱線を防止するガードレールがあれば、今回の脱線も防げたそうですが、ガードレール設置には巨額の費用がかかるとのこと。4/22

 阿蘇の観光地も超豪雨被害からの完全復旧を果たす間もなく、阿蘇山噴火に見舞われましたが、そこに加えて今回の大地震です。本来なら、雨を降らせる自然のメカニズムと地震を起こす自然のメカニズムは別のはずですが、熊本、大分では、超豪雨も、連続して発生する巨大地震も全く同じ地域を襲っています。これが天然自然の現象だといえるでしょうか。繰り返し襲われた地域は、阿蘇や湯布院や別府や日田など九州では有数の観光地ばかりです。

 律令時代末期の法令『延喜式』(927年)に記載されているという、非常に古い歴史を持つ阿蘇神社の、日本最古だといわれている楼門と拝殿も崩落しています。阿蘇神社は、神武天皇のお孫さんである健磐龍命(たけいわたつのみこと)を主神に12神をお祭りする神社だそうですが、阿蘇神社の歴史によれば、その始まりは紀元前282年だという。現存する文献を基にしても、阿蘇神社は少なくとも927年以前には創建されたことは明らかですが、その阿蘇神社の楼門と拝殿が崩落したということは、この地域には、今回のような巨大地震はかつて一度もなかったということです。最初の震源地である益城町から阿蘇神社まではかなり距離がありますが、16日未明のM7,3の巨大地震が発生以降は、大分方面の北東方向(阿蘇神社のある方向)に震源域が移動していると、専門家は現象的解説を披露していますが、天然自然に震源域がこれほど簡単に移動するものなのでしょうか。阿蘇山近隣やその周辺は阿蘇の噴火が数限りなく発生していますので、地震も多発し活断層もあるのはある意味当然でしょうが、過去には今回のような巨大地震の発生はなかったことは、1000年以上も前から続く阿蘇神社が証明しています。

 阿蘇神社は阿蘇神社の写真を見ると、古い歴史と由緒ある格式高い神社であることが一目で分かります。さらに春夏秋冬、季節ごとに執り行われる神事も、日本の神社の使命が何であるのかが、瞬時に視覚として伝わってきます。(阿蘇神社 火振り神事この阿蘇神社が創建以来1000年以上も経った平成28年4月16日に、突如として地震で崩落するということが天然自然で起こりうるでしょうか。阿蘇神社は創建以来、数えきれないほどの阿蘇山の噴火を浴びてきたわけですが、今回の地震まで火災にも遭わず、破壊もされずに続いてきました。もしも過去に阿蘇神社の社殿が崩壊するような被害に遭ったのであれば、非常に社格の高い神社ですのでその記録が残されていないはずはありません。記録がないということは、今回の地震までは、社殿に被害が及ぶような災害には遭っていないということです。(参照:気象庁「阿蘇山 有史以降の火山活動」・・・553年から阿蘇山噴火の記録が始まっていますが、おおげさではなく、本当に数えきれないほど多い。)

 実は、福岡の糸島市でも「延喜式」に記載されていた志登神社という古い神社が、1年ほど前に不審火で全焼しています。古くて由緒ある神社とはいえ、一般には余り知られていません。近年、日本各地で、神社が不審火で焼失するという事件が多発していますが、その失火原因はほとんど調査されないまま放置されているのではないか。志登神社は無人の神社の上に田んぼの中にありますので、本来ならば火事が発生するはずはないのですが、かなり広い社殿が全焼しています。この神社には宮司や神職はいませんが、氏子の皆さんが季節季節に神事を行い、神社を守ってきており、古くなった社殿も改修して秋のお祭りを行う直前に火災に見舞われました。最近、志登神社が再建されたとのニュースがありましたが、「延喜式」に載っていたほどに古く、由緒ある神社ですので、祭神に関わるような神宝や文物も祭られていたのではないかと思われますが、当然、そうした神宝や文物は消滅しているはずです。ただしそれらは焼失したのではなく、火事の前に盗まれた可能性が非常に高い。

(そういえば、糸島市に隣接する福岡市西区の5神社でも不審火が相次ぎ、昨年3月からの1年間に9回もの不審火に襲われ、本殿と拝殿が全焼した神社もありました。全焼を免れた神社の中には、2回、3回と繰り返し不審火に見舞われています。不審火9回はその総計ですが、氏子の皆さんが警戒を強めているとのことで、その後今日までは新たな火災の被害は出ていないようです。4/23

 熊本城にも被害が及んでいます。天守閣の瓦が崩れ、国の重文指定を受けている櫓なども破壊されています。熊本城は加藤清正が築城したもので、7年の歳月をかけて1607年に完成したそうですが、以来、崩落の被害に遭うのは今回の地震が初めてです。過去に熊本も地震が発生したことはあるそうですが、阿蘇神社も熊本城も無傷です。今回の地震が過去に例のないいかに異常なものであったかは、今回甚大な被害を受けた二つの古い歴史的建造物が、過去からの生き証人として証明しています。古い建造物や遺跡の多いい日本では、同じような事例は他にも多数あるはずです。昨今、世界的にも地震が多発していますが、海外でも同様事例が多数あるはずです。

 ところで、今回の地震の特徴を示す地震波形は、防災科学研究所のサイト(NIED)4/16の地震波形)で公開されていますが、一般的にいわれるP波(初期微動)のない人工地震、北朝鮮の核実験時に計測された波形によく似ています。前日の「前震」と命名された414日の波形も全く同じです。なぜ専門家は誰も、北朝鮮の核実験時の波形と全く同じのこの波形は、人工地震のものだとは言わないのでしょうか。専門家に問うべきよりも日本政府に問うべきかもしれません。

 専門家のほとんどはこの波形は人工地震を証明するものではないと考えているようですが、人工的な衝撃を加えずに、瞬時に岩盤が破壊され、広大な大地を瞬時に引き裂くほどの破壊力が、いかにして物理的に可能なのか、彼らは説明できるのでしょうか。しかも2日続けてです。天然自然ではありえぬ現象ではありませんか。波形が公開されたのはこの2日分だけのようですが、何日もつづく地震も大半は同様の波形を示しているのではいか。

21日、NIEDを再訪したところ、18日までは、NIEDのトップページのど真ん中に掲載されていた、上記リンクの地震の波形公開ページは削除されていました。新しい情報に変わったとも考えられますが、上記波形はどこを探しても見つかりません。4/21

 ところで、今回の地震が人工地震だとして、では内陸部にある一帯に誰にも知られずに、地震を起こす岩盤破壊装置をどうやって設置したのかが問題になりますが、長期に渡る超豪雨災害の復旧工事下では、人工地震をひそかに地下に埋め込むことはそう難しくはないはずです。超豪雨被害地と今回の地震被害地がほぼ完全に一致していることが偶然であるはずはありません。

 そこで改めて問われるべきは、なぜこの地域が狙われたのか、ということです。まずすぐにも分かることは、九州一の観光メッカと呼ばれる地域に大打撃を与えること。もう一つは、今回の地震被害で初めて判明したことですが、被害地が日本の製造業の隠れた大拠点の一つであったことです。(トヨタ)、ホンダ(二輪車)、ソニー、パナソニック、三菱電機、ルネサス、アイシン、チッソ、堀場製作所など、半導体、自動車の部品工場の集積地だという。トヨタ九州の工場は福岡県にありますが、熊本の関連会社アイシンから部品の供給を受けていますので、即影響を受けます。実際、影響はトヨタ全社にまで及んでいるようです。他にはサントリー、コカ・コーラ―の熊本工場なども操業停止中。

 これら社名を見ていると、3.11がそのままダブってきます。3.11の大震災でも、日本有数の観光地が壊滅的な被害を受けるとともに、日本を代表する製造業の大拠点が致命的な被害を受け、日本の自動車メーカー各社が車の製造ができなくなったという状況の再現であることにも気づかされます。当然の結果として、日本車メーカは売り上げを激減させますが、代わって、韓国車が急速に売り上げを伸ばしました。規模は多少は違っていても、今回も似たような現象が起こる可能性もゼロではありません。

 観光でも、ゴールデンウイークを目前にしての大災害です。被災地ではすでにキャンセルが相次いでいます。東北の復興も未だ成らず、北海道も異常気象つづき。日本好きの中国人観光客も日本への旅行も二の足を踏むはずです。海外に目を転ずれば、中東や欧州はテロに荒らされ、観光客は激減。中国人に人気の旅行先として常時1位、2位をキープしているタイも、時折り観光客を狙ったテロが発生しますし、超豪雨にも襲われます。フィリピン、インドネシアも同様です。五輪を控えたブラジルは小頭症まで発症するらしいジカ熱が蔓延。そこに加えて、エクアドルでも巨大地震が発生。世界中で南米渡航への忌避感が強まりそうです。ではどこへ行くか。おそらく韓国への旅行客が激増するはずです。日本が中国人の海外旅行先では1位になったことが、韓国では大問題になっていましたので、韓国ではこれで挽回できると踏んでいるはずです。日本国内でも、これほど大地震に次々と襲われつづけるならば、被災地以外の人とはいえ、観光旅行を楽しもうという気にはすぐにはなれないかもしれませんが、国内旅行の行き先が次々と消えていく中で、日本人の中からも韓国に行く人も増えるかもしれません。韓国にとっては願ったり叶ったり。

 日本が巨大地震に襲われる度に、韓国には思いがけない利益が棚ぼた式で転がりこんできます。結果としてですが、「自然」は日本にとっては悪魔的な破壊の神と化していますが、韓国にとっては女神であるらしい。

 日本ではなぜ地震兵器や気象兵器は語ることさえタブー視されているのでしょうか。このタブーを突き破るのは、日本政府の責任です。政府がタブーの覆いをかけているからこそ、日本中が沈黙しているのではないか。この政府の沈黙を突き破るのはマスコミの責任ですが、日本のマスコミは政府以上に沈黙を貫いています。姿を見せずに攻撃を可能とする自然改変兵器は、同盟国からの攻撃である可能性は非常に高い。こういう兵器を使った攻撃に本気で立ち向かうためには、同盟国を相手に独力で戦争せざるをえないという覚悟は不可欠ですが、日本の政治家にはそこまでの覚悟のある人物は一人もいないはず。我々国民自身にもその覚悟がないということかもしれませんが、地震兵器を使った攻撃であることが暴露されるならば、日本国民も命をかけてその殺戮者と戦う覚悟は持つはずです。

 

102社参加

 

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 安倍政権は、このどさくさに紛れてTTP法案を成立させる魂胆らしいですが、それどころではないはずです。巨大地震や超豪雨などの相次ぐ自然災害は、日本経済を疲弊させるだけです。当座は、復旧工事で景気がよさそうに見えても、その資金源の大半は税金であり、国や地方の借金が膨らむ一方。しかも復旧事業にはイノベーションを起こす動機が乏しく、経済成長に資することもほとんどない。あっても、税金投入が続く一時的なもの。にもかかわらず、官も民も巨額の投資と時間を投入せざるをえず、イノベーションを起こす暇もなく、結果として経済の弱体化を招きます。東日本大震災からの復興も未だ道半ばのところに、熊本、大分でも巨大地震。心情的にも、もう日本は立ち上げれそうもないとの気分に襲われそうです。この壊滅的な気分を打ち破る最強の力は、日本列島を次々と襲う、巨大地震、台風以上の破壊力をもつ超豪雨などの異常気象の正体を明らかにする、政治家と科学者たちの勇気です。

 米軍は救援物資の搬送にオスプレイを飛ばしています。オスプレイにとっても結果として、格好の活躍の機会を得たことになりますが、おそらく日本国民のほとんどは、オスプレイの支援を喜んで迎えはしないだろうと思われます。日本国民の真の願いは、なぜ日本列島は次々と不可解な巨大地震に襲われつづけるのか、その原因を米軍も一緒になって解明してほしいということです。それ以外の望みはありません。

 

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