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葦の葉通信26号 2017/4/15 |
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久本福子YOSHIKO HISAMOTO 葦の葉ブログ再開 ここ2カ月ほどの間、ブログ再開をめぐって、あれこれ悩んでおりました。「葦の葉通信」では、ほぼ月に一回ぐらいの頻度で、かなりまとまった分量の長文発信になっていましたので、もう少し更新頻度を増やして、一回の発信量を少なくしたいと思い、ブログの再開を考え始めていました。 以前、「葦の葉ブログ」と題して「葦の葉通信」と全く同じ内容のブログを公開していましたが、これではブログ再開の意味はありません。再開ブログは、ブログとして独立したものにする予定ですが、タイトルを何とつけようかとかなり迷って、迷った挙句に以前使っていた「葦の葉ブログ」に決めました。 ところが、この名称でネット検索したところ、すでに閉鎖している、以前使っていたF2のアドレスで「葦の葉ブログ」が出てきます。閉鎖していますので、「見当たりません。」の表示が出てきます。そこで新しく開設したブログから「葦の葉通信」と同文のコピーを公開してみましたが、閉鎖済みの「葦の葉ブログ」が表示されるだけで、検索結果には変化はありません。 そこでまた悩みました。名称を変えるべきだとあれこれ考え、新名称を試してみましたが、検索上の優位性も確認できず、語感や字面上の視覚的イメージからも「葦の葉ブログ」を越えるような名称は思いつかず、結局、この名称を使うことにしました。 ただ、今のところ、「葦の葉通信」としての発信を停止して、「葦の葉ブログ」一本にするかどうか決めかねていますので、当分の間、「通信」とブログでの同時公開といたします。ブログを通して、新しい読者にも読んでいただきたいと思っておりますので、なるべく簡潔、短文で、週1回の更新に励みたいと考えております。 新しい「葦の葉ブログ」のアドレスは、以下のとおりです。よろしくお願いいたします。 博多駅陥没事故と歴史 昨年11月に、博多駅近くで発生した地下鉄七隈線延伸工事に伴う大陥没事故は、日本中に衝撃を与えました。その一週間後には巨大な穴が塞がったばかりか、道路の舗装まで終わり、急ピッチで進められた復旧作業には国内はもとより、海外からも称賛の声が寄せられていました。日本人としては誇らしく思う気持ちもなくはありませんが、実はこの大事故は、近年日本で進む、日本の歴史を軽んじる風潮によって生み出されたものだといっても過言ではありません。 しかもこの地下鉄延伸工事に関連した陥没事故は、2000年6月(中央区薬院)と2014年10月(博多区祇園町)にも発生しており、今回は3度目。今回の陥没はけた外れに巨大ですが、いずれの陥没事故も、福岡市の歴史の基本を知っていれば、陥没事故は発生していないと断言いたします。その基本とは、これらの陥没事故が発生した地域は、かつては海ないしは海岸に接していた地域であったということです。 日本各地に古地図が多数残されていますが、福岡博多にも多数の古地図が残されており、天神地域や博多周辺の現在の繁華街は、かつては海であったことが記されています。その変貌を非常に分かりやすく解説したサイト、Y氏(山田孝之)の「福岡路上遺産」800年前、鎌倉時代の福岡市周辺の様子はどんな感じ?をご覧になると、瞬時に理解できるはずです。 貝原益軒は「筑前国続風土記」(中村学園大学図書館)に、当時の福岡の地形が分かる詳細な地誌を記録していますが、福岡古地図が多数webに公開されています。住吉神社がかつては海に囲まれていたのには驚きますが、上記の古地図では即座の理解は難しそうですので、現在の博多周辺の地形と比較したY氏のサイトをご覧ください。 webには今回陥没事故を起こした工事に際して参照したらしい、一体の地質の特性を記した資料も公開されていますが、その特性表記は非常に抽象的であり、工事区間一帯がかつては海であり、土壌は非常に軟弱であるとの判断を的確になしうる内容ではないと、素人ながら判断せざるをえません。天神界隈も福岡城あたりまでかつては海であったという。地下鉄七隈線延伸工事は、かつては広大な海域であった区間の、砂だらけの地底を掘削することになります。 博多に関する基礎的な歴史を知っていたならば、こんな砂だらけの軟弱な地底を掘削してまで地下鉄を延伸する必要はあるのかという、根本的な論議が起こるはずですが、論議になったのは、コストカットに適した工法をめぐるものであったという。今回の陥没事故を起こした工区で福岡市が採用したのは、最も安上がりのナトム工法という硬い地盤に適した工法であったという。高島市長はもとより、この延伸事業に関係した福岡市の職員の誰一人として、福岡市の歴史の基本すら知らなかったことを物語る選択です。福岡市の職員が企業や専門家委員にこの事実を伝えないならば、いったい誰が伝えるのですか。福岡市の責任は重大です。 専門家委員は、福岡市の地形や地質の歴史的な変遷については知らなかったようですが、地質の状態から工事の続行は危険であるとの警告を繰り返し出していたそうです。にもかかわらず、福岡市はその警告を無視して工事を続行しました。その挙句の大陥没事故です。無知とおごりが招いた大事故です。 しかし不思議なことには、一帯がかつては海であったという事実を指摘した記事や報道は皆無です。地元紙の西日本新聞でさえこの事実
を報道していません。文化部には歴史専門の記者がいるはずなのに不思議です。おそらく20年ほど前までならば、新聞記者はもとより市の職員ならば、この程度の福岡市の歴史は、常識の範囲内で誰もが知っていたのではないかと思われます。この常識知としての歴史が我々の生活圏から消されていった結果が、今回の陥没事故を招いたことは明白です。 日本の歴史、福岡の歴史は韓国が作ったという路線を突っ走る記事が、西日本新聞の大紙面から小紙面を占拠しつづけてきました。貝原益軒までもが、朝鮮通信使に教えを受けたとのねつ造極み発言までもが報じられる始末。韓国人の目で日本の歴史、福岡の歴史を見ることを強制されつづけてきたわけです。こんな状況下で、いったい誰が地元の歴史をまともに学ぼう、知ろうという気持ちになるでしょうか。それどころか、福岡という地域の特殊性もあるかと思いますが、韓流歴史が我々の生活圏にまでなだれ込んできているのが実情です。
この韓流歴史は、歴史研究の進展を示す成果だとして学習指導要領の改訂にまで影響を及ぼすほどになっていますが、これは進展ではなく、研究とも呼べない退行現象以外の何物でもありません。自国の歴史を他国に蹂躙されると、いかほどの悪影響をもたらすか、博多駅陥没事故は、その例証の一つだといえるでしょう。 |
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