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吉田調書の真実

原発事故と巨大地震の正体

  

  

 

 

 

 

葦の葉通信 32号 2017/6/15

   

 

久本福子

 

パソコンが故障しまして、右往左往していました。HPのデータはすべて公開していますので、外部メディアには保存しておりませんでした。データはサーバからダウンロードしたのですが、内部リンクがすべて不通でした。ファイルの量が多く躊躇していましたが、一部リンクアドレスを修正しておりますので、修正分はリンクOKです。一時ロゴも消えていましたが、復旧しました。壊れたPCからデータを取り出せば、これらの問題は解決されるはずですが、HP以外の必要なデータはすべて別に保存していますので、データの取り出しまではせずに放置しております。取りあえず、事情をご報告いたします。(7/2

 

「葦の葉ブログ」は目次が一部しか表示されないため、再び、当サイトへ戻りました。(6/15

 

イコモスと国連への疑問

 

イコモス

 

 世界文化遺産の登録をめざしている宗像・沖ノ島とその関連遺産群を巡って、沖ノ島以外は対象とはしないというイコモスの勧告が、関係者に非常な衝撃を与えています。勧告の趣旨はマスコミでも報道されていますが、文化庁が発表したイコモスの評価結果を見ると、イコモスの勧告は、学術的な公正さとはほぼ無縁の、ある種の偏見に基づくものではないかとの疑念が沸き上がってきます。なぜ沖ノ島以外の遺産群が除外されたのかといえば、その理由は、沖ノ島にのみ「古代祭祀の考古学的物証」が残されており、それ以外は全て国家的なものであるからだということです。

 

 しかし古代祭祀の跡を残す沖ノ島の信仰そのものも、古代の日本国家によって執行されてきた国家的事業であったという、明々白々すぎる事実をイコモスの委員たちは完全に無視しています。この無視は意図的なものであることは言うまでもありません。国家的事業として執行されてきたことは、「古事記」や「日本書紀」にも明記されています。国家的事業としてなされていたからこそ、当時にあっては最高級レベルの豪華な品々が奉献されていたわけです。それらの豪華な品々は、名もない一般庶民が奉献できるはずはありませんし、一般庶民は目にしたこともなかったはずです。

 

 日本各地にある縄文遺跡からは、集落で宗教的儀式が行われていたことを示す遺物も多数出土していますが、189年に邪馬台国の女王に即位した卑弥呼は、祭祀により国を統治していたことが、中国の正史「魏書」(魏志倭人伝)に明確に記されています。卑弥呼は239年には魏に使いを送って朝貢し、親魏倭王の称号を受けたことも「魏書」に明記されています。

 

 卑弥呼に限らず、そもそも古代宗教は、日本も含めて世界中で例外なく、すべて国家的事業として発祥したものであることは、世界史、宗教史の常識ではありませんか。古代においては政治=宗教と、両者が一体化していたことも世界史の常識です。古代の国家は現代の国家とは様相が異なるとはいえ、古代の部族社会を統治する準国家形態から中央集権的な古代の統一国家においても、政治=宗教の関係は存続しています。イスラム教などの一部を除いて、両者が完全に分離するのは、近代以降のことです。

 

 キリスト教や仏教やイスラム教などの世界宗教は、宗祖となる特異な能力をもった個人によって創始されましたが、いずれも当時の国家には対立的な、あるいは国家権力には帰属しない場に身を置いて宗教活動を開始しました。しかしこれらの宗教が宗教として定立すると、国家統治の基本原理として時の権力者に活用されるようになりますが、宗像・沖ノ島遺跡群にその原像を印す日本の民族宗教である神道は、自然崇拝を基本にしていることもあり、世界宗教とは異質な面のあることは事実です。

 

 日本には6世紀に、世界宗教の一つである仏教が伝来しましたが、一神教であるキリスト教やイスラム教とは異なり、仏教は日本の神道とも対立することなく併存してきました。また、神道には世界宗教とは異なり厳しい戒律は存在しませんし、八百万の神々を戴く神道はもともと非常に寛容であり、非排他的です。神に対してであれ、神道には絶対服従という概念は存在しませんので、明治政府による廃仏毀釈が行われた一時期を除いて、世界宗教である仏教と民族宗教である神道とが仲良く共存してきました。この共存は現在も変わりなくつづいています。おそらく両者の共存は、日本が一神教によって支配されるような事態が発生しなかぎり、未来永劫つづくはずです。

 

 世界史的に見るならば、世界宗教が普及すると、民族宗教は抑圧されるか消滅してしまいます。仏教は世界宗教とはいえ一神教のような排他性がないこともあり、日本では神道とも共存してきましたが、神道のように世界宗教誕生以前からつづく民族宗教が、世界宗教受容後も、両者ともに互いに共存し、共に広く信仰の対象になっているという例はきわめて稀ではないかと思います。

 

 世界宗教が普及するとなぜ民族宗教が消滅するのかといえば、周知のごとく、世界宗教が他民族支配の手段として使われたからですが、なぜ日本では民族宗教である神道が消滅することなく今日まで存続してきたのかといえば、言うまでもなく、日本がこれまで外国に支配されずにきたからです。世界宗教普及の変遷は、世界の支配構造の変遷を映す鏡ですが、民族宗教の存否は、その変遷を裏から映し出す投射機のようなものです。つまり神道という日本の民族宗教が今日まで存続してきたということは、日本は先史時代から今日まで、外国に支配されることなく独立国として存続してきたことを証明しています。これは国の独立と宗教との関係を示すものであり、世界史的にも非常に価値のあることは多言は要しないはずです。

 

 しかしイコモスは、宗像大社が具現する信仰(神道)と、沖ノ島が具現する信仰との関連性は証明されていないとも断じています。宗像大社のご祭神は、天照大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)との誓約の結果誕生した次の三女神です。(宗像大社HPより

宗像大社ー沖津宮(沖ノ島)・・・田心姫神(たごりひめのかみ)

    ー中津宮(大島)・・・・たぎ津姫神

    ー辺津宮(宗像本土・田島)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

 

 三女神は素戔嗚尊の剣を種に生まれたので素戔嗚尊の子供ともいえますが、天照大神の手によって生まれたことには変わりはありません。宗像大社のご祭神が上記の三女神であること、そして三女神は、天照大神の神勅として沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(本土・宗像市田島)のご祭神として降(くだ)されたことが、日本の歴史書「古事記」(712年)「日本書紀」(720年)に書かれています。つまりこの三女神は、天照大神の神勅により、三柱(三女神)が一神として宗像の地に降下されものであり、切り離すことはできないということです。

 

 これほど明瞭に沖ノ島祭祀の由来を文字で記した記録が存在するにもかかわらず、なぜイコモスはこれを無視して、三柱のうち沖津宮(沖ノ島)だけを取り出そうとするのでしょうか。イコモスの委員には学術的な誠実さが欠如しています。神々の由来を語る神話は、神々の誕生も含めて、物理的な意味で事実なのかといえば、物理的にはありえない、証明できないというほかありませんが、世界中の神話はすべて同じ次元に属しています。世界宗教のキリスト教や仏教などにも、物理的な証明が不可能な話が多数登場しています。我々人間とは次元を異にした、超常的存在であるがゆえに神は神たりうることは多言は無用でしょう。神話的要素を含まない宗教は、この世に存在しないと断言します。

 

 日本よりはるかに早く仏教が伝来していたにもかかわらず、儒教の力が極度に強く、儒教が宗教を代替していた中国や朝鮮では、宗教(仏教)が広く、深く人々に受容され、浸透するという状況は生まれぬまま今日にまで至っています。儒教の教えにも奥深いものがあるとはいえ、現実の人間世界の処世のありようをきわめた儒教には、神話的要素は皆無です。神話的要素とは、超人的な対象=神を崇め、畏れる心性=神の加護を信じる心性を人々に付与する力であるともいえますが、こうした超常的、超人的存在をもたぬまま民族の長い歴史を刻んできた中国と韓国は、世界的に見ても、他に例のない特異な位置にあるのではないか思われます。

 

 ただ、かつては仏教先進国であった中国は多数の高僧を輩出し、日本の仏教の礎を築いてくれました。また中国人には信仰心の篤い人も多く、日本と交易をする中国商人の中にはお寺まで寄進する人もいましたし(お寺は長崎や福岡に現存)、航海の安全を守る女神信仰も長くつづいてきました。宗教を否定する共産党政権下では、中国人個人の宗教心は外部からは見えなくなっていますが、かつては中国にも宗教に帰依する人々が少なからずいたということです。

 

 日本はこの中国を師として仏教も儒教も受容しましたが、在来の民族宗教である神道とも、互いに他を排除せず、対立することもなく共存共栄しつつ、日本人の精神的バックボーンを形成し、今日にまで至っています。日本人の宗教的寛容さはおそらく、非一神教的な、厳しい戒律を持たぬ、自然崇拝を基とする神道に由来するものだろうと思います。極度に排他的なイスラム原理主義者による暴力が世界中で猛威をふるっている現在、非常にゆるやかに他をも包含する神道のもつ宗教性は、宗教本来の祖型を示すものであり、非常に希少であり、価値あるものだと思います。宗像大社の沖津宮(沖ノ島)には、この神道発祥とその変遷の跡が残されているわけですが、イコモスはそれを認めようとはしていません。

 

 イコモスの委員は文献を読まず、モノだけで判断しようとしているようですが、彼らが判断の基礎としたモノそのものの選択にも非常な偏りがあります。本土にある辺津宮・宗像大社本殿の奥の小高い所に高宮と呼ばれる古代祭場の跡があります。写真からはずいぶん明るい開けた印象を受けますが、わたしが昔、世界遺産などまったく話題になっていない頃に訪れた時の印象は、うっそうと樹木が生い茂り、もっと薄暗く、まったく人気(ひとけ)がなければ、一人では立ち入ることがためらわれるような、はっきり言うと少し怖い(=畏い)ような雰囲気が漂っていました。いかにも古代の祭場跡だと思わせるような印象でした。写真は撮りようによって印象は異なりますので、実際は昔と変わってはいないのかもしれませんが、この高宮も沖津宮(沖ノ島)と同様の古代祭祀の跡であることは明白です。つまり本土の辺津宮にも、古代祭祀の跡がモノとして残されています。

 

 社殿を持たないこの高宮は三女神降臨の地だともいわれていますが、沖ノ島での信仰が社殿信仰へと変遷する、その媒介的位置にある遺跡であることは明白です。神の降臨ないしは神の御言葉の降ることを祈った場であったのだと思います。イコモスの委員は、沖ノ島と社殿信仰とをつなぐこの高宮の価値をなぜ無視しているのでしょうか。

 

 イコモスの委員たちは文献を読むのが苦手なのでしょうか。モノで証明せよというのであれば、宗像三女神をその手で誕生させた神であり、天皇家の皇祖神であるとともに日本の総氏神様、最高神でもある、天照大神をご祭神とする伊勢神宮に奉献されている品々には、沖ノ島で発見された奉献品と同じものが含まれています。伊勢神宮以外にも、古い由緒のある神社には、沖ノ島の奉献品と同じ物が残されています。これらの神社はいずれも宗像大社の沖津宮(沖ノ島)同様、海や水辺に位置しています。海上交通の安全を司る神々が祀られているということです。

 

 また、応神天皇が織工女の招来のために中国の呉に使いを送りますが、呉の王は日本のこの求めに対し、4人の織女を与えました。4年をかけて勤めを果たした使いは4人の織女を連れて帰国しますが、その直前に天皇は崩御します。応神41年(413年。西暦年には諸説あり、400年前後の頃)のことですが、4人の織女の一人は宗像大神に奉献されています。

 

 実は機織りは、最高神である天照大神の所掌する重要な御業であったことは、「古事記」や「日本書紀」にも記されていますが、それを証明する宝物が沖ノ島からも出土しています。金製のミニュチュアの織機ですが、全ての部品もそろって残されており、ミニュチュアながら、実際に機織りができるという。実際に布を織っている写真といっしょに展示されている沖ノ島出土の金の織機を見たときは、現実の物とは思えないほどの驚きと感動を覚えました。これと似た織機が伊勢神宮にも奉献されているそうです。他の神社にも完成品ではないながら、織機が奉納されている例はいくつもあるという。モノの検証をとおしても、沖津宮(沖ノ島)での祭祀と他の神社での信仰(日本の神道)との関連性は明白です。

 

 日本の遺産委員会がどのような申請書を書いたのかまでは確認していませんが、委員会は沖ノ島遺産群を、アジア(実は朝鮮半島)との交流を示す古代祭祀という基本コンセプトで、遺産登録準備を進めてきたことは散々報道されてきましたので、その路線で作成されたものと思われます。しかし沖ノ島の価値は世界史的なものであり、世界史や世界の宗教史の中でその価値を位置づけるべきものであることは、すでに述べたとおりです。

 

 アジア(朝鮮半島)交流といえば、古代の日本と朝鮮とが仲良くお付き合いしたかのような印象を受けますが、事実は日本による朝鮮半島(百済、新羅)への武力侵攻です。日本への朝貢を求めての武力侵攻ですが、沖ノ島の祭祀跡は、その戦勝祈念や戦勝への感謝を示す遺跡にほかなりません。以降、百済や新羅は毎年のように、貴重な宝物類やクジャクやラクダなどの珍獣を携えて日本に朝貢してきました。

 

 663年、唐は新羅と連合して日本の配下にあった百済を滅ぼした後、その地を支配していましたが、新羅は676年に唐を追い出し、朝鮮を統一しました。しかし新羅は朝鮮統一後も日本への朝貢を続けています。新羅が朝鮮半島を統一するまでは、朝鮮半島情勢が影響していたのか、大国の唐の遣使もしばしば日本を訪れたという。それらの遣使が天皇に捧げた品々は、天皇によって伊勢神宮などの各社に奉献されたという。沖ノ島の遺跡から、中国産の金の龍頭や新羅系の金の指輪が見つかったことからも、沖ノ島にも奉献されたと思われます。

 

 しかしもう一つ、沖ノ島=宗像信仰を特徴づける国家的大プロジェクトがあります。遣唐使派遣事業です。唐の先進文化移入のためにはこの事業の成功は至上命題でした。600年から遣隋使派遣が始まりますが、隋が唐に滅びた後は、遣隋使に代わり、630年から遣唐使派遣が始まります。遣唐使派遣は、唐の滅亡間近となった894年に廃止されるまで続きます。派遣に際しては、派遣の無事を祈願する祭祀が各社で行われるのが常でしたが、遣唐使船が難破して失敗した後に実施される遣唐使再派遣時には、天皇が、宗像大社をはじめ各社、各寺院に遣唐使の無事の往還を祈念する大々的な祭祀を命じた記録も残されています。最高級の品々を奉献して神のご加護を祈ったわけですが、沖ノ島の豪華な宝物類は、その祈りの強さを物語っています。しかし遣唐使派遣が廃止されると沖ノ島への奉献も終わっています。遣唐使派遣がいかに重要な国家的事業であったかを物語っています。

 

 また、新羅は宝物類を朝廷に献呈してきましたが、810年頃からは、新羅からの逃亡農民の流入が増加するとともに、海賊と呼ばれるような新羅の兇徒たちが日本を襲来しはじめました。新羅で頻発する飢饉や政治的腐敗による混乱から、人々が生活に困窮するに至ったことが原因のようですが、当初朝廷は、新羅人を今で言う移民として受け入れ、土地(口分田)や家や仕事を与えて救済してきましたが、日本側にもその余裕がなくなり、まず受け入れ現場の地方から新羅人受け入れノーの悲鳴が上がり、ついに朝廷も新羅人の受け入れを拒否するに至りました。

 

まるで現在のEUと中東難民との関係とそっくりですが、日本側が受け入れを拒否しても新羅からの日本襲来は収まりません。新羅海賊の襲来は激しさを増すばかり。朝廷は869年には、新羅襲来への警護を強化することを諸国に命じます。宗像社でも、878年に新羅排撃の祭祀を行ったことが記録されています。その後も、新羅の襲来はつづきます。

 

 この新羅からの襲撃防備に日本中がどれほど苦しめられ、力を費やしていたかは、弊社刊、朝日新聞福岡総局編『はかた学2 古代の都市・博多』(1320円+税、執筆者は大学教授などの専門家)に詳しく書かれています。遣唐使までもが新羅海賊に襲撃され、命を落とした者もいたという。新羅海賊が怖いとは公にはできなかったものの、新羅海賊への恐れも、遣唐使廃止の理由の一つであったらしい。日本は二度の元寇(1274年、1281年)による元と高麗の連合軍による襲撃以前に、すでに800年代半ば頃から、新羅による激しい襲撃にさらされ続けてきたのでした。

 

 しかし936年、その新羅もついに滅び、高麗が朝鮮を統一します。新王朝高麗は日本に通交を求めてきましたが、平安の朝廷は高麗との国交回復をも拒否したという。新羅を滅ぼした高麗との通交まで拒否したとは、朝廷の朝鮮半島王朝への忌避感はただごとではありません。こうした事実は、日本の仏教は高麗を真似たという、昨今流布している俗説を否定するものだと思いますが、両者に似ているところがあるとしたならば、高麗が日本を真似たというのが事実だということです。しかもこの高麗が中国の元をそそのかして、日本を襲撃するのですね。王朝変われど、その攻撃性は変わらず。日本の貴族には、無法化した海賊と戦う力は不足していたとはいえ、日本の朝廷が高麗との通交までも拒否したのも分からぬでもありません。

 

 文献を無視したモノだけを相手にした解釈では、捏造は容易です。沖ノ島の祭祀遺跡が語っているのは、古代におけるアジア交流ではなく、古代においてはいかに政治と神への祈り、祭祀が一体化していたかではないでしょうか。古代における祭祀といえども、経済的な基盤なしにはなしえぬことは言うまでもありません。現代ならば、信徒個々人の喜捨や寄進によって維持されるのが基本ですが、古代においては、個々人の寄進によって祭祀が維持されるということはありえません。生産手段が限られ、生産能力の乏しい古代にあっては、個人でなしうる仕事はごく限られており、集団によって生産に当たらざるをえません。農業はもとより、狩猟でも、大きな獲物は集団によらなければ手に入れることは不可能です。となると、生産物も集団内で分配することになります。

 

 時代ととともに生産力が上がったとしても、階級分化が進み、富が権力者に集中するようになり、個々人の取り分はさして増えることはありません。こうした古代にあっては、個人が個人的な思いから神への祭祀を始めるということはありえません。そもそも神への信仰は集団幻想として発現するものです。古代にあっては、神への信仰は幻想ではなく現実そのものであったわけですが、国家ないしは部族や集落などのプレ国家的な集団の総意として祭祀がなされ、国家や部族などの保護下で祭祀が維持されてきたというのが、民族宗教史の常識です。宗像社も、当地一帯を支配する海人族の豪族である宗像氏が神官として祭祀を司っていました。この宗像氏は天皇家とも姻戚関係にあり、朝廷からも厚遇を受けていたことが多々記録に残されています。

 

 祭政一致とはいえ、日本では600年代半ば頃から始まる、法治による官僚制度を前提とした律令制が確立して以降は、卑弥呼の時代のような完全な祭政一致からは脱し、形の上では祭政分離が取られていましたが、祭祀を司る神祇官(じんぎかん)が置かれていたことからも分かるように、律令制下でも、祭祀は政治の重要な分野として正規に位置づけられていました。律令制は中国から移入した制度ですが、神祇官は本家中国にはない日本固有の、神道に立脚した制度です。朝鮮半島にも存在しません。

 

 朝鮮半島との仲良し交流という全くの作り話によって沖ノ島の古代祭祀を意味づけようとするのは、おそらく韓国側からそそのかされた結果によるものだと思いますが、韓流作り話では、沖ノ島の古代祭祀の実相を読む解くことはできません。それどころか、沖ノ島の古代祭祀どころか、日本の神道そのものまでもが歪められる可能性は非常に高い。

 

 韓国は、韓国で見つかった竹幕洞祭祀遺跡と沖ノ島とを関連付けて、日本の古代祭祀(日本の神道の祖形)は韓国から移入されたものだ、あるいは少なくとも両者は同じだというコンセプトで、つまりは日本の神道も韓国の影響下で生まれたものだと世界にアピールすることを狙って、世界文化遺産登録を目指していますが、沖ノ島祭祀跡以外の宗像大社や古墳などの遺跡群については、いかに捏造好きの韓国でも似ていると主張できる遺跡は皆無です。邪魔になるものは除外せよという指令がイコモスに伝達されたのではないか。

 

 昨今の国連は、韓国や中国に事実上牛耳られていることは、日本批判声明が異常なまでに連発さていることからも推測できます。特にユネスコや国連人権委員会は韓国人の影響力が非常に強い。潘事務総長退任後の現在は、国連での中国の影響力がより強まってまいす。日本にとっては、中韓の連携は最凶コンビです。

 

 もしも宗像・沖ノ島関連遺産群のうち、沖ノ島(沖津宮)だけが世界遺産に登録されるという決定が出されたならば、日本政府はこの登録決定を拒否すべきです。

 

国連

 

 つい先日、国連特別報告者(どういう身分、資格の人なのか?)マルタ大学教授のジョセフ・カナタチ氏から日本版共謀罪「テロ等準備罪」は危険だとの懸念が表明されました。

 

 本当に日本の共謀罪だけが異常なものなのか、海外の共謀罪やそれに類する法律はどうなのかと思い、ネットを探してみたところ、法務省が主要国の条文を抜き出し、比較していました。他には純粋に条文そのものを比較したものは見当たりませんでしたので紹介します。いやしくも法務省です。我田引水的な引用はしないはずです。

 

共謀罪海外比較 付録・共謀罪に対する御懸念について(法務省HP)

 

上記米英独仏4カ国の比較を見れば分かるように、犯罪の対象への制限は一切なく、二人以上の複数や集団で何らかの犯罪を共謀し、準備した場合に適用されるという条文趣旨になっています。アメリカは二人以上の者が「共謀の目的を果たすために何らかの行為を行ったとき」という、解釈の幅が非常に大きい、抽象的な表現ながら、「何らかの行為を行ったとき」という条文になっていますが、他の3国は、いずれも実行に移す前の合意だけ、あるいは犯罪を意図した団体を設立しただけでも適用される内容になっています。

 

 欧米の法律名は米英が「共謀罪」、独が「犯罪団体の結成の罪」、仏が「兇徒の結社罪」となっており、テロだけを対象にしたものではなく、テロを含む集団による犯罪を対象にしたものであることが名称からも分かります。しかし日本版共謀罪は「テロ等準備罪」と呼ばれており、対象も次のように制限されています。

 

組織的な犯罪の共謀罪 対象となり得るケース・ならないケース 」(法務省HP)

 

 条文そのものを比較するならば、日本の「共謀罪」だけが特に危険だとは思えません。それどころか、対象犯罪を具体的に制限していることからすれば、むしろ、他国よりも危険性は低いのではないかとさえ思われます。法律名からも分かるように、この法律の最大の眼目は「共謀」という名のとおり、単独犯ではなく、複数人や集団による犯罪(テロだけに限定したものではありません!)を対象にしたものです。これは、欧米4カ国の法に明確に共通しています。

 

 日本の共謀罪もこの点では共通していますが、むしろ日本の場合は犯罪の対象を具体的に列記しており、欧米法よりも限定されてしまうのではないかとの危惧すら覚えます。にもかかわらず、なぜ日本だけが批判の標的にされるのかは全く分かりません。日本ではこの共謀罪が即適用されそうな集団は暴力団ではないかと思われますので、暴力団もおそらく反対を叫んでいるのではないでしょうか。

 

 国連の特別報告者は、欧米の共謀罪の条文そのものを読んでいるのでしょうか。読んでいないのではないかとの疑惑すら感じます。日本の野党をはじめ反対派の方々にも同様の疑問を感じます。ただし、以上は、法務省が引用公開している欧米法が事実そのとおりであることを前提にした批判です。国連特別報告者は、世界の共謀罪と日本の「テロ等準備罪」とを、条文そのものを比較してどこが問題なのかを具体的に指摘すべきではありませんか。

 

 しかし国連の日本攻撃はさらに続きます。今度は、カリフォルニア大学教授のデービット・ケイ氏という国連特別報告者が、日本では報道の自由が侵害されているとの報告を発表しました。具体的には(1)日本政府は放送法を使って報道に圧力をかけているので、放送法を廃止せよ。(2)記者クラブ制度は調査報道を委縮させるので廃止せよ。(3)従軍慰安婦問題などの歴史認識問題に関して、日本政府は正しい立場(世界標準になった中韓の主張)に立ち、中韓の主張を教科書にも反映させよ。(4)特定秘密保護法は危険なので改正せよ。(5)沖縄の反基地活動を抑圧するな。

 

 ケイ氏のこの報告はいったい誰のためになされたものなのか、との疑問も沸き立つ報告書です。では個々について検証します。

 

(1)については、一部を除き日本のマスコミは、今現在も激しい安倍政権批判を繰り返しており、政府が報道に圧力をかけているという事実はない。むしろ安倍政権擁護を公然と口にすることすらはばかられるようだというのが現実です。(2)は報道機関の問題ですが、廃止すべきだと思います。(3)については、むしろケイ氏こそ、中韓の主張一辺倒という偏向姿勢から脱し、客観的な事実に基づいた調査をなすべきではありませんか。(4)日本の特定秘密保護法と、欧米をはじめとした世界各国の同種の法の条文そのものを具体的に比較し、日本の保護法のどの条文がどう危険なのかを具体的に指摘すべきではありませんか。(5)沖縄の辺野古埋め立ての反対運動をめぐっては、活動家が長期に渡って拘束されていましたが、政府のこの過剰な対応は批判されるべきだと思います。沖縄基地問題については米軍にも重大な問題がありますが、ここでは取り上げません。

 

 以上見てきたように、ケイ氏の報告書は、かの有名なカリフォルニア大学教授のものなのかと、その杜撰さに驚かずにはいられません。そもそも中国の異常なまでの報道弾圧、人権弾圧については、国連はなぜ批判しないのですか。韓国は日本以上に報道の自由が規制され、官民一体となって異論を抑圧しますが、この韓国に対しても国連は批判していません。

 

 朴大統領を皮肉っただけで産経新聞記者を逮捕した韓国政府の対応について、国連機関が批判したという事実は皆無です。韓国の大学教授の朴裕河氏は、『帝国の慰安婦』という本を出版しただけで警察に逮捕されました。政府の見解と異なっているというのが逮捕理由ですが、仮にも自由主義陣営の国で、本を出版しただけで逮捕されるというのは、韓国以外にはありません。しかし国連は、韓国に対しては言論の自由がないとの批判はしていません。

 

 日本の報道の自由の有無をいうのであれば、中韓に都合の悪い、特に韓国に都合の悪いニュースは徹底して隠蔽するという偏向をこそ問題にすべきではありませんか。従軍慰安婦問題の発端となった吉田清治氏の長男が、父親の捏造の事実を告白したという、日本にとっては重大ニュースであるはずのこのニュースも、初出の雑誌「新潮45」を除けば、産経新聞以外は、公共放送であるNHKも含めどこも報道していません。わたしもうかつなことに、最近知ったばかりで驚愕しています。ご長男の告白内容ももとより、これほどの重大ニュースをなぜマスコミは報道しないのかという、二重の驚愕に襲われています。

 

zakzak夕刊フジ2016/8/23慰安婦捏造”吉田氏の長男が真相激白「父は誤った歴史を作り出した」  吉田氏は朝鮮半島には一度も行ったことはなく、地図をみながら偽書を書いたという。

産経ニュース2017/6/11吉田清治氏の長男「父の謝罪碑を撤去します」「朝日がやらないから私がやります」ジャーナリスト・大高未貴

櫻井よしこ氏2017.06.01 吉田清治氏長男、父親の謝罪碑書き換え  ご長男は、父親が韓国に建立した謝罪碑の撤去そのものは物理的に難しいので、代理人に託して謝罪碑を書き換えたという。日本のマスコミはなぜこれほどの大ニュースを報道しないのか。

大高未貴著『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白 

 

 ケイ氏は、上記一連の記事や書籍を読んだ上で報告書を書きなおすべきです。国連には日英翻訳者は多数いるはずです。学者なならば、対立する双方の見解を精査すべきです。ましてや国連の仕事ではありませんか。ケイ氏は沖縄にも一度も行ったことはないし、今後も行くつもりはないとヌケヌケと語っています。他のテーマでも同様なのでしょう。自分では直接調査せずに、誰かから提供された資料をまとめただけ。そんな楽な仕事でケイ氏はいったいいくらの報酬を得ているのでしょうか。他の報告者も似たり寄ったりでしょう。国連の予算を、全く政治的な偏向報告に費やすのはやめなさい。

 目下アメリカのトランプ大統領は、ロシアと結託して大統領選を有利に進めようとした罪で裁かれようとしていますが、日本の場合は、国連と結託して中韓に都合のいい政権誕生を目論む勢力が、日本攻撃=安倍政権攻撃を展開しています。しかし相手が国連さまとなれば、誰も不当な国政介入とは批判せずに、金科玉条のごとくありがたがって、その超偏向ご託宣を伏し拝んでいます。

 安倍総理の後釜を狙う有力候補の一人である石破茂氏は、先日韓国を訪問した際、東亞日報の取材に応じ、日本は韓国の納得を得られるまで謝罪しつづけるべきだと語ったという。このニュースはすでに523日に韓国では報道されていますが、日本ではネットを除けば産経新聞以外には報道されていません。このニュースが日本で報道されたならば、次期総理の有力候補で、中韓の言いなりになりそうな石破氏が総理になる道が閉ざされかねない、そんな中韓の思いを忖度したマスコミが、韓国での石破氏の発言を報道しなかったのでしょう。

 日本の報道は公共放送であるNHKも含め、政権による規制ではなく、中韓結託勢力による規制が異常に強い。しかも中韓結託勢力は、国連をも事実上牛耳っています。今や国連に公正さを求めるのはほとんど無意味、徒労以外のなにものでもありませんが、マスコミがその宣伝部隊として報道しつづけますので、批判をつづけざるをえないのが実情です。中国と韓国は国連の私物化を着々と進めています。特に中国はその経済力にモノを言わせ、国連の私物化を着実に進めつつあります。

「加計学園問題」参照:しのぎ削る中韓に日本が負けないために必要だ 国会で置き去りにされる獣医師の隠された役割(産経ニュース2017/6/15

加戸守行前愛媛県知事「虎の威を借りないと役人は動かない」「国会は何を議論しているんだ、このバカ野郎と…」(同2017/6/10豪快!明快!

岸博幸・慶大院教授インタビュー 「加計学園問題は改革つぶし」「前川は官僚のクズ」(同017/6/12

参照記事は産経ニュースばかりになりましたが、他に見つからず、偏向紹介となってしまいました。悪しからず。

産経以外にも記事を発見しましたので、紹介します。6/20

ダイヤモンドオンライン2017/6/15 高橋洋一氏 加計学園の認可は「総理の意向」の前に勝負がついていた

 

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